「怒りとは、自分に盛る毒」

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「怒りとは、自分に盛る毒」とネイティブアメリカンの言葉にあるが。

母が突然死で逝ってしまったという夢を見た。
そこから経験上覚えたことをすべて終わるまで泣く暇をつくらないよう様々な事をこなしていく自分がいた。「どんなに悲しいこともこうやって身に焼き付けて、こうやって覚えてきたんだ」と夢のなかの私の頭のなかで繰り返しながらこなしていった。
そしてすべてが滞りなく終わった時、もう泣いてもいい時間だと思ったのも束の間、母方の親戚一同が3.11以降の私の行動に対し怒涛の集中砲火を浴びせはじめた。まったくもってアベコベのお話にならない感情のみの言葉たちは、もはや聞くための耳を切り落したいほどのただの罵声に値しそれは本来私に向ける言葉ではなく「政府」や「東電」に向けられるはずの言葉で結局のところ「八つ当たり」でしかなかった。
それがわかった瞬間今まで堪えてきたことや飲み込んできた言葉たちを単なる安易で馬鹿な文句でしかない八つ当たりではなく、その人たちが二度と立ち直れないように真実の言葉をひとりひとりに丁寧かつ返す言葉が出ないようにきっちりと話すことを決め実行した。
しかし話しはじめた途端にその親戚たちはオタンコナスなのかそれともスカポンタンのアンポンタンなのか私の言葉を聞いているその表情からしておマヌケでお話にならないおバカ丸出しと気づいたらもうどうにも我慢できず大笑いしてしまった。
そしてこういう人たちは、ずっとこうして真実から目を背けただのくだらない文句をいうことで何がストレスなのかも十二分に理解もできないまま流行り廃れの○○の一つ覚えの一環としての「ストレス発散」とやらをまんまとさせられているだけで、そのことで仮に私が「怒り」を感じるようなことがあるならばそれこそ無意味で無駄な「毒を自分に盛る羽目になる」と納得し目が覚めた午前3時だった。

お人好しで私の1000倍本物の天然な母は癌を患って子宮と卵巣さらにリンパ節を全摘したのち、患者には使うのに医師自身が癌になっても絶対使わないと言い張る、ガン細胞だけでなく良い細胞も何もかも殺しまくる猛毒抗がん剤を3クールし、副作用と後遺症に耐えて15年過ぎた今、「病気と寿命は違う」というすべては選択することで始まり終わるという命の完結の言葉を胸に刻みながら完全復活している。年を重ねるということはちっとも恥ずかしいことではない。そう思うのは母を見ているからだ。年を重ねられるというのは、最高に素晴らしいことではないのか。だからこそ本当は一緒にここに住みたい。今も元気でいてくれるのだから。本当に時々いい言葉やいい教訓を伝えてくれる母に感謝だ。
それにしても、なんだ? この妙にリアルな夢は。

もちろん、こういうこともあるんだと教えてくれるネイティブアメリカンの方々にも感謝だ。ひょんな事から「サンクス・ギビング」はいつからはじまったのか、どんな意味だったのかを調べていたら、とっても素晴らしい話だった。なのに・・・・・。日本も同じようなものだが。もっとも違いが現れているのは、教科書自体が洗脳書ということだろうか。例えばドイツ人など海外の方は「歴史は、疑って、調べるもの。」と実際に調べ真実を知るいっぽうで日本人は? ということだろうか。
もう綺麗事では済まされないことばかりだ。








森友・加計・レイピスト山口の話は、どうなってるんだ。





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by iroha8788 | 2017-12-05 06:45 | おはようの時間 | Comments(0)