起き上がり小法師の願い玉



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(後ろ姿)



帰りの飛行機を待つ間に見つけた「起き上がり小法師」は最後の残りいっこだった。


先日、義母の一周忌で福島へ行ったのだが、飛行機の便数がどんどん減らされていくので日帰りができなくなった。
「安全ならば、なぜ、そんなに飛行機の便数が減るのか?」
その代わり会津からのシャトルバスが何故か仙台空港へ走るようになっていた。
この意味を教えていただきたいものだ。
また福島を違う種類で分断したいのだろう。
もともと3つに分かれていたのをひとつにし、都合が悪くなるとまた分断する。
上の考えることは今も昔も変わらないとつくづく思う。


福島は、私にとってもはやある部分で精神を閉じないといられない(厳密には、精神を閉じてしまうとこの身に焼き付けられないので、精神を閉じることを必死に堪えている)場所になり、家族が残っているので心配がつきない場所でもある。一緒に蝦夷地に住めたらどんなに幸せか。どんなに安心か(そこら中に原発があるこの国には、安全な地などない)。それでも「ここに居る。ここで死ぬ。」と決めた家族を連れてこれない、この言葉にできない感情を味わうこともきっと私に与えられたものだと思っている。そう思うところまで来た。

久方ぶりに帰った実家では居間にいる間はテレビがつけっぱなしで平昌オリンピックが流れていてさらに「NHKもひどいが、ほかの局は観るに耐えない」と言う父は、ほぼNHKばかり観ていて吐きそうなところへ「まだ、お前はテレビを買ってないのか?テレビくらい買ったらどうだ?」と言いはじめたので、すかさず「電気代の無駄!」と言うと苦笑していた。私からしたらどこも変わらない、あらゆる情報の真実…「真実」は、自分で探すもので、テレビでは決して流すことはないと実感している。トドメは「西郷どん?」を観ながら歴史の云々を言い出したので一喝して終了した。頑固者同士、梃子でも動かない。それでも久々の再会は勘ぐり屋の主人によって選ばれたビールで献杯した。
主人の母の一周忌なので献杯となる。
主人はこの7年間で両親を亡くした。二人とも本当に呆気なく逝ってしまった。

…主人には申し訳ないが、譲れないものは譲れない。父と私はこれで丁度いい。
そんな父と私を黙って見ながら久しぶりに揃ったみんなの顔を眺めてニコニコしている私の1000倍天然な母も相変わらずだ。


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(正面)



私のルーツのひとつに会津がある。

その会津の民芸のひとつが「起き上がり小法師の願い玉」だ。

400年前の昔から、会津藩主、蒲生氏郷公より伝わり「転んでも起き上がる」という「忍耐と人生の象徴」として愛されていて、構造的にも「ダルマ」と同じだが会津最古の民芸品でもある。(なぜ会津には教会が目立つのか今更ながら納得し、幼い頃から祖母に教わった薬草からハーブへ興味を持ったこととも繋がって辿ればたどるほどまた底なし沼になりそうだ。)

以前は、石橋を叩きすぎて壊してしまって渡れないようなところがあったが、初めての転勤以来・・・いや披露宴の雛壇から人間観察をして以来・・・いや、震災以来だ。「転んでもただで起きてなるものか!」と思っている私にはピッタリかもしれない(笑)
福島で買う最後のものとして、同じように雪深い会津の地とこの蝦夷地での冬の経験値が合わさり「雪の結晶」となっているようで迷わず迎えた。
私が育った場所は、、、だから私は、私の時間をこれからも生きて行く。


この起き上がり小法師願い玉を作ってくださった方々へ感謝と愛を。


おん。






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by iroha8788 | 2018-03-06 20:00 | 日々のこと | Comments(0)