呼ぶ子

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ケシ科サンギナリア属の「サンギニア・カナデンシス」が咲いた。

このサンギニアは私にとって「呼ぶ子」である。

去年とある花屋さんにて、はじめて植物に「こっち、こっち」という「音」としてではなく「呼ぶ声」が聴こえた方へ行くとこの子がいた。
私の植物への溺愛はついに頭を「放射脳」にしてしまったかもしれないと我を疑いつつその声の方向へ行く時のあのドッキンドッキンクラクラ感は忘れられないどころか今でも耳から離れない「こっち、こっち」という声で十数個並んでいるポット苗の中のひとつを探したのだった。
そしてそれは今日も10時34分に、また聴こえてしまった。
あ、もう、これは!うひょぉ~♪とワクワクしながら外に出てそばへ行ったその時の行動はわかる人にはわかるだろうが、本気でピョンピョンしていたことに間違いはないうえに溺愛しているのでそっと頰をスリスリしながら「咲いたのね~♪綺麗ね~♪いい子ね~♪」といったあとにしっかりクンクンすると「やっぱりチョーククチャい…」と言ってしまい「余計なお世話よ」と言われたところまでここに記しておこう。
こんなに美しく咲いているのになぜか匂いは「黒板」が浮かぶ「チョーク」の匂いがするのは迎えた時と同じで、どうにもあの石灰の粉っぽい匂いなのだ。
植物は人間なんかを相手にしているのではないので「チョーククチャい」と言われる筋合いはまったくないだろうが、この子のおかげで植物そして動物たちへの愛情はさらに深くなったことは認めざるを得ない。そしてこんな夢物語のような話でも、わたしには大事なこととしてカウントされ、これからへ繋げていくための大切な出来事のひとつとなっている。この出来事からひとつだけ思うのは「育つ環境で人間が関わった子ほど話すことが多い」ということだ。まだそれしか確信できていないのが悔しい。けれど人間よりも遥か昔に生まれていた「命」と考えるとそれも当たり前の話ではないかと思われる。到底「敵わない」ということで、それはたとえどんなに遺伝子組み換えをしても、植物には「先祖返り」という性質を持っていることを忘れてはならないのと同じく、人間も、もう何百年も前から「先祖」が自然界に対してしてきたことを考える時期がきていてそれは、生き物が本来の生き物として朽ちた躰を「土に還す」という意味を理解することへも繋がっているのかもしれない。

夕方、陽が傾くと花びらを閉じるこのサンギニアに「お休み、また明日ね」といい「植物たちともっともっと話しができるように…話しができるように、なる!」と呪文をかけるように挨拶をした。

おん。



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by iroha8788 | 2018-04-27 17:27 | そういう時間 | Comments(0)