人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ズンズン歩きまくる

ズンズン歩きまくる_a0329935_14474558.jpeg

待ちに待った時間はあっという間に過ぎて、気がつけばカメラも持たず、ひたすらズンズン歩いてダイヴしてヘロヘロになっていた。

昨日今日と30cm、40cmの積雪がつづいた。ただちがうのは、その雪の質だ。昨日は湿雪の重たい雪で雪かきと、この冬に決めた「重たい雪のときは隙をついて必ず主人に雪玉をつくってぶつけること」を実行した。たった1回目で思わぬところに命中してしまったことでこっぴどく叱られたので「よし!」とし、サラッとダイヴをして終わった。今日は乾雪でサラサラ新雪とわかった瞬間、大急ぎでとっととさっさと雪かきを終わらせ、初のスノーシューをはいて空き地へ向かうことにした(スノーシューをはくときに、いつも左右を間ちがえるのをいい加減やめたい。『つもった雪はにげない』と言い聞かす)。

まだ猛烈なる吹雪になっていないこの冬の雪は締まっておらず、フカフカすぎるほどフカフカで足をいっぽ踏みだすごとにスノーシューをはいているにもかかわらず膝上まで埋まってしまいなかなか前に進めない。主人は後からついてきたので、私はひたすらラッセルをしながら歩いていた。「なんでよ」と思っていた。そこへ「ヌオーッ!」という声が響いて振り向くと側溝に主人の左足がハマっていた。主人はこの冬も、また側溝にハマった(ということは、ここだけの話で終わりたい)。家の改築がもうすぐ終わる4年前の秋だった。今もよくしてくださるボンサイ先生が、使わないからとお手製の木でつくった渡り梯子を持ってきて空き地へ行くところの側溝にセットしてくれた。その渡り梯子も当然いまは雪に埋もれている。これは感覚でしかわからない。私はニオイヒバの木の両側の感覚でどこに渡り梯子があるかわかるようになった。ヌフッ。主人の片足がハマった姿を何度も思いかえしてはこみあげてくる笑いがどうにもおさまらなかったが、そのままトウヒノキに積もった雪で枝が折れそうになっていたのをバッサバッサと枝を揺らして雪を落としながらひたすら歩いた。大事なうちの防風林の枝だ。そして今日を境に明日からよほど悪天候ではないかぎり毎日歩くための足跡ならぬ*ケモノ道を残すべく空き地を一周すると、空き地の真ん中へ向かい一旦とまり、その場を踏み固め、両手を広げたまま後ろに倒れる。「パフゥ〜時間」だ。倒れた瞬間フワフワサラサラの雪が舞いあがって顔に体じゅうにおりてくる。大の字になって青空を見ながら大声で叫ぶ。空き地のまわりは人っ子だけいない巨大田んぼの農閑期ですべてが雪原となっている。ここぞとばかりに大声で叫んでダイヴをあじわう。この冬も「パフゥ〜時間」は病みつきである。たとえ呆れられても「それがどうした!楽しいものは楽しいのだ!」である。楽しみながらも「念」と「願」もこめて叫んでいることも否めないが。かりに300mほど先のお世話になっているお隣さんに私の声が聞こえたところで「この冬も、はじまったな」で終わりである。ありがたいことだ。

マイナス10度、晴天。無風だったので歩くには最高だった。木々たちや枯れたまま残しておいたノラニンジンやセイヨウセイタカアワダチソウ、ススキ、ヤチガヤ、オオヨモギたちも氷の結晶を纏いすべてが太陽にてらされて輝いていた。

この次は「真昼の星空」が見たい。見たいなぁ。
太陽が出ているときの午前10時前、マイナス8度以下で、ときおり微風が吹くときだ。木々や枯れたまま残しておいた植物たちから太陽の日差しと微風によってはがれおちる氷の結晶…樹氷がこぼれ落ちたところに陽が当たったとき「真昼の星空」が雪面にあらわれる。


写真は一年前のものだ。空き地へ行くためのケモノ道。


*野生動物たちよりも人間の方がよほど「ケモノ」だと思っている私は、春も夏も秋も冬の間も私が敷地内につくった道すべてを「ケモノ道」と呼んでいる。




by iroha8788 | 2019-01-11 11:11 | おはようの時間

生きものたちとの日々


by 葉花