カテゴリ:おはようの時間( 232 )

みたいものをみる

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この冬2度目のマイナス10度をこえた朝に、また見ることができた姿に、幸せを感じる。


蝦夷地に間借りし、はじめての冬に見てからというもの、この姿が大好きになってしまった。春、雪どけがすすみ、ロゼットのかたちで越冬した姿が出てくるとワクワクしてしてしまう。葉っぱもいとおしい*An’s Flowerは、1年を通してうちの庭にはかかせない。


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人間には「食べられない人参」でも、アゲハの幼虫には好物でありだいじな食べ物だ。それだけで十分だろう。そもそも地球上に生えている植物の8割は食べることはできないし、まだ発見されていない植物だってある。それでいいと、なぜ思うことができないんだろう。もう余計なことはしなくてもいい。すでに奪い、壊し、殺してきたのだから。いつまで「奪う・壊す・殺す」をつづけるのか。

私は、見たいものを見る。しかしただ見たというだけで、何も感じない、すぐに忘れるその場しのぎの、なんの積みかさねもできないまま生きている愚かな人間にはなりたくない。


*An’s Flower は、うちだけの名前である。





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by iroha8788 | 2018-12-13 19:19 | おはようの時間

シクラメンの蕾

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お盆明けに植え替えをしたシクラメンに蕾があがった。まずは葉っぱが育ち光合成をたっぷりしてチカラを溜め込んでからゆっくりと蕾を育ててくる。ただし今年は、2号さんだけだ。1号さんは、休眠からいまだに目を覚ましてくれない。

処分品になっていたシクラメンを2株迎えて4年になる。
球根も、50円玉の大きさから500円玉の大きさをこえた。毎年GW過ぎまで咲きつづけてくれる。そこから肥料をきり、葉ばかりさんの時期を過ごしていただき、お盆が過ぎたら植え替えと同時にリセットをするべく、のびた根っこを半分の長さに切り葉っぱもすべてとる。1ヶ月もすると球根から小さな葉芽をのばしはじめる。そんなサイクルをずっとしてきたのだが、今回はなぜか、1号さんだけ何の動きもない。球根が腐っているわけではなく、さわるとムチっとしている。植え替えのときの根切りがたりなかったのか…。いずれにしても、1号さんに関しては、年明けまで様子を見てから植え替えしなおそう。球根が腐っているわけではない。あわてることもない。休みたいのであれば、休ませてあげよう。シクラメンは、短日植物でも長日植物でもない、中性植物だ。

今までみたなかで、一番印象に残っているのは知り合いのお母さまが育てていた25年もののシクラメンだった。球根というより直径15cmくらいの「大きなおまんじゅう」だった。あえて書かないが牧野博士が名付けたとおりだと思った。25年前から生きているシクラメンに香りはないが、ピンク色でとてもシンプルでとても素敵だった。毎年植え替えをして大事にされていた。しかしお母さまが亡くなるとそのシクラメンも急に葉っぱがどんどん枯れはじめ球根も腐る前にカラカラになって枯れてしまった。連れていったのか。それともシクラメンが、お母さまについていったのか。25年も一緒にいたのだから…。

この2号さんシクラメンはピンクの小さな花を咲かせる。まだモコモコ葉っぱから顔を出したばかりなので白っぽい蕾だが、これから窓辺で日光浴をしながら蕾が大きくなると同時にどんどん花びらが色づいてくる。花びらがしだいに色づいてくるのをみるのも嬉しい。外気温がマイナス5度をこえる日が多くなると日が沈む16時ごろには部屋の真ん中にあるテーブルに移動させ、翌朝、日が昇る7時ごろになると窓辺へ移動する。シクラメンは暑がりだが、その程度にもよる。これも1代目のシクラメンと一緒にいた内地のときに覚えたことだ。この子たちが部屋のなかで一番元気でいられる場所を見つけるのも楽しみのひとつだ。今は昼と夜の定位置が決まっている。

年末には咲きだしそうだ。小さなガーデンシクラメンのおかげで窓辺がまた少し賑やかになる。

うちのおチビのシクラメンも、ずっと一緒にいられますように。




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by iroha8788 | 2018-12-02 07:55 | おはようの時間

Morning Mist

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日の出のときは晴れていたのに、時間が経つとともに空知川からのぼってくる霧に覆われていく。気温3度と確認したら、どうにも我慢できずに外へ出る。

歩きながら深呼吸をすると、我ながら身体だけはすっかり冬モードになってきいるのがわかる。蝦夷地の冬モードというのかもしれない。寒くなったなぁ。でも、まだまだこれからこれから。さて、この冬は最低気温が何度までさがるかなぁとワクワクしている自分がいる。

まずはマイナス8度の「寒さが刺さってくる感覚」の境目の気温を体験することだ。マイナス7度とマイナス8度の、たった1度はされど1度で、別物である。そしてマイナス10度だ。これは、ダイヤモンドダストが見られる確率がグンと高くなる気温で、そこからもしかしたら、サンピラーが見られるかもしれない。今年こそ見たい。嘘も本当も真実も自然界には存在すらしない。ただ事実、事象、現象として見たい。死ぬほど見たい。そしてマイナス20度ごえ。これは玄関をあけた瞬間に息ができないような感覚になり、風が吹いていないのに耳も鼻ももげそうになる。その感覚を超えて空き地に行くと、さらなる美しい雪原の光景が広がる。長居はできないが完全防寒をしてでも「我慢して見に行く価値がある」と思う年に一度あるかないかの気温の日だ。

雪かきは、かいてできた雪山にダイヴするための大事な作業だ。ひと汗かいたあとにスノーダンプを投げだし、新雪の雪山に向かって走ってそのままダイヴする。運動神経も反射神経も関係ない。いらない。ただ新雪に向かって飛び込むだけだ。アイヌ犬ではない。しかし、ダイヴしたときの「パフゥ〜」加減は最高で毎冬の雪かき後の楽しみとなっている(雪の量によっては30分に一回はダイヴして休憩する)。あと2年半ほどで50歳になるが、そんなことは、どうでもいい。「ダイヴばっかりしてないで、雪かきしろよぉ」という人がいないときは、もっとも最高なダイブができる。アイヌ犬ではない。今年は何回ダイヴできるだろう。考えただけでバウワウしてしまう。……アイヌ犬に失礼である。ソリ滑りは、12月下旬から2月までだから、それよりもダイヴである。

この霧が出る時期は、終わりですよ。秋は終わりですよ、お天道さま。
あぁ、雪は、いつ降るの?まだなの?早く降ってください。

おん。

ここのところ霧の中を歩いてはこんなことばかり言っている。






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by iroha8788 | 2018-11-07 07:58 | おはようの時間

ネズミをくわえた猫

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玄関をあけるとミースケがネズミをくわえて座っていた。


…。
「おはよう、ミースケ」と言うと、くわえていたネズミをボタッと落とし「ミャー」と言う。あぁ、ミースケよ。わかったよ。もうすっかり狩りも上手になっているのもわかっているよ。それとも念押しの「この冬も、よろしく頼む」と言いたいのかミースケよ。どちらにしても、わかったよ。朝一番でありがとうね。いつでも泊まりにおいで。そう言うしかない。そう言うしかなかった。

どんどん日の出が遅くなってきている中で玄関をあけて一瞬動けなくなってしまう光景が来春まで数回つづくことは、この冬もまちがいなさそうだ。今度は、何を捕まえて持ってくるんだろうか…。ミースケが頻繁にくるようになると、雪が積もるまでのカウントダウン開始だ。

ミースケが捕らえたヒメネズミはお亡くなりになっていたので埋葬した。埋葬を確認していると、近くでエゾシカが鳴く甲高いキャーンという声が聴こえ2人で固まりながらも、しばらくするとミースケは去っていった。


おん。


写真は少し前のハマナスとノイバラが自然交配して生まれたカラフトイバラになれそうでなれていないハマナスの遺伝子が強くでている葉っぱと棘をもつ「野ばら子さん」の紅葉だ。この葉っぱの色を見ながら「大好きよ」とクドクド言う朝はつづいている。


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by iroha8788 | 2018-11-05 06:05 | おはようの時間

カカヤンの実

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カカヤンバラの実は、優しい蜜柑色で、触るとすぐにとれてしまいそうなやわらかな産毛の感触のままで、いつまでいてくれるだろう。

Rosa Bracteata、ヤエヤマノイバラ、カカヤンバラと3つの名前を何度も書きたくなってしまうこの名前の薔薇をはじめて見つけたのは夏の終わりごろに偶々通りかかった相模原の花屋さんだった。*Rosa pomifera、Rosa villosa、アップルローズという葉っぱに青林檎の香りがある3つの名前をもつ薔薇と一緒に処分品になっていたのを見つけ迎えた。ステンレス製の4段の棚の3段目の左端っこに寄せられて切り戻されて小さな3号鉢に入り、最初は4本のはずだった3本の挿し木苗と3本の挿し木苗の鉢、2つ並んでいた。「カカヤンバラ」と「アップルローズ」の名札が反対になって鉢にささっていた。
迎えてから植え替えをしてしばらくするとみるみるうちに復活していく姿は原種らしくとても頼もしく来春を容易に想像できるくらいだった。
どちらも私の頭の中に葉っぱや茎や棘や花びらや花や葉っぱの香りやローズヒップのかたち、感触が残っている。忘れない。

2代目も迎えてからずっと「カカヤン」と呼んでいる。同じ品種の薔薇であっても同じ個体ではないからこそ今度こそ、ずっと一緒にいれるだけいられるようにと願いを込めて同じ呼び方にしている。

来年の早春にも部屋の中でいち早く開花しエッセンシャルオイルのylang-ylangとフレッシュミックスジュースがあわさった香りを漂わせてくれますように。


おん。


*Rosa pomifera は蝦夷地にきてから一度も会えずに終わりそうだ。





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by iroha8788 | 2018-10-25 07:52 | おはようの時間

霜に一面が覆われるまで

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気温3度の冷えた朝は、丸い葉っぱが可愛くて刈り取らずに大事に残しておいたカキドオシに霜が降りていた。ますます冬へ、雪の季節が近づいている。


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アカバナツメクサにも霜が降りている。でも、まだ甘い。霜で一面が覆われたときの霜の上を歩くときのザクザクという音と心地よい感覚まではもう少しかかりそうだ。


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主人が道の駅で見つけて迎えてから大事にしていている「ヤマモミジ」も真っ赤になった。1番日当たりがいいところにいるこの子は、日の出とともに霜がとけた雫をまとう。
なすがままされるがままの「ヤマモミジ」はエゾシカに成長点を食べられて上へ伸びることなく否応無しの盆栽仕立てになっている。主人は「自然がつくった姿だからこそ、いい」という。「そのとおり」ということにした。



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Rosa Gallica Officinaris には、はじめてのローズヒップがなった。
迎えて3年目の今年はたくさんの花が咲いたからだと思うが、なんともおもしろい形にニマニマしてしまう。20個のうちの2個だけいただこう。ちょっと味見もして、冬の間の楽しみ「薔薇の種をまく」ことにしよう。タネはいくつ入っているんだろう。あけてみてのお楽しみだ。


おん。


来年から植物を迎えることができなくなるような気がする。放射性物質入りの用土が全国にばら撒かれるからだ。私にとっては楽しみがひとつ減ることになるが、それよりも、この地を、せめてうちの敷地内だけでも汚したくはない。ならば、今ある植物の種を蒔くこと、苗を育てることを楽しみとしよう。
「楽しみは自分で創るもの」ターシャの言葉もいつでも私を支えてくれる。





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by iroha8788 | 2018-10-22 08:22 | おはようの時間

ひと粒の茶の蕾

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おととし迎えた盆栽仕立ての「茶の木」に、ひと粒の蕾があがった。うれしい。
蝦夷地では戸外で越冬ができないため一緒に部屋の中で越冬してきた。

生まれてはじめて見つけた「茶の花」を見つけたときの嬉しさとともに、今でも大好きな愛媛のおばぁさまの笑顔が浮かぶ。「あなた、目敏いわね!本当に花が好きなのね」と、おばぁさまの広い庭で見つけた小さな茶の花の可愛さにピョンピョンしながらも釘付けになり「ちょっとだけ蕊にさわってもいい?」というと「どうぞどうぞ、きっとこのお茶の花も喜ぶわよ。そんなに喜んでもらえて」と言ってくれた。ただ、そのとき「目敏い」という言葉の意味を悪いほうにしかとらえていなかった私は、ずっと引っかかり、そのあとの昼食におよばれしながら「なんだか…目敏いって言われると、ショックです。」とおばぁさまにいうと「あら。目敏いって、本当はいい意味なのよ。知らないの?いけないわね。ちゃんと調べなさい」といわれ帰ってからすぐに調べた。何でもすぐに悪いほうにとらえて気にする私をかえたきっかけをつくってくれたのは、この大好きなおばぁさまだ。
何かことが起こるたびに最悪の場合をいつも考えて動いていた。そしてその出来事を乗り越えるたびに「あのとき、あんなに辛くても乗り越えた、だから次も私は大丈夫」と今でも自分に言い聞かせているのは変わらない。「何事も無駄ではない」と。物事の捉え方の軸は、このおばぁさまと逢えたことで変わっていった30歳になったばかりのころだった。口を開けば、子どもは?まだ子どもできないの?と、親戚一同からお隣さんまでにも言われつづけていたが、おばぁさまだけは言わなかった。18年経った今でも、本当に大好きな尊敬するおばぁさまだ。

それから2度目の転勤で神奈川に住んでいたときに浜名湖まで行く道すがらのサービスエリアに段々畑の茶畑があり、ちょうど手入れをしていた方にお断りをして「やぶきた茶の種」をいただき蒔いた。その発芽の姿にも溺愛していたが育てて3年目のお盆を過ぎたころ、細い幹と枝の間にまん丸の小さな蕾があがりじんわりと生長する蕾の可愛さにも毎日ピョンピョンしていた。茶の蕾も、本当にまん丸で可愛い。開花した姿は真っ白な花弁にたくさんの蕊がまるで「茶筅」のようになる。

溺愛しながらも捨てるしかなかった、3年間しか一緒にいられなかった「茶の木」の記録を載せておこう。終わることのない至極最低最悪の日々の中で。

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1時間あたりの空間放射線量は、0.20μSvだったベランダへ出ることも憚れる日々は3年続いた。部屋の中は、どんなに拭き掃除をしても0.15~0.18μSvから下がることはなかった。住んでいたのは3階だった。駐車場に行くと1μSvを超えることが度々あった。場所によっては2や3μSvを叩きだす。さらに余震はひっきりなしにつづく。地震がくる前になると感覚で分かり身構えるようになっていた。どうか大きな地震でありませんようにと願う。心臓はバカみたいにドクドクはやくなる。一体いくつの余震を体感しただろう。すぐに150を超えた。150まで数えた。そこから数えるのはやめた。気が遠くなる。神奈川にいたときのテレビに流れる異常なテロップ「人身事故のため◯◯線が遅れています」という電車の遅延の多さの驚きがすべて地震速報に一変した。ニュースを見ると県内の1時間あたりの空間放射線量が天気予報のように流れる。意識が朦朧となる。どこにいても地面は揺れる。木々が揺れる。草花が揺れる。鉄筋コンクリートの家が軋む。実家に戻ると木造家屋がミシミシ音を立てて揺れる。寝ていても揺れて飛び起きる。容赦無く余震は繰り返す。スーパーに行っても揺れる。店内の「食べて応援」のポスターも揺れ広告塔の芸能人の顔が歪む。最初は悲鳴があったが次第に、みんな一瞬立ち止まるだけで何事もなかったように買い物を続ける。3年の間にマスクをする人も少なくなった。気休めでしかないかもしれないが、それでもマスクは外せない。マスクをしていると白い目で見られるようになった。蛇口をひねると出る水は4.6bq。実家の水は、4.7bqだった。気狂いになりそうだった。いや、なっていたと思う。秋晴れの日、どんなに天気がよくて気持ちよい空気感があっても、安達太良山の紅葉を見に行っても、裏磐梯の紅葉を見に行っても、日本三大桜の三春の滝桜を見に行ってももう、昔の福島ではない。深呼吸ができない。もうニ度と昔の福島に戻ることはない。チェルノブイリを見よ。本当にいろんなものを失った。


そして今、大自然に間借りさせてもらいながら蝦夷地に移住し4年が過ぎた。深呼吸ができる喜びは、何ものにも変えがたい。土を素手で触ることができる。大事に残しておいたカキドオシの絨毯に大の字になって「一回だけ」と謝りながら寝ころぶこともできる。農薬が飛ばなくなった農閑期の今は、見渡すすべてが静まりかえり野生動物たちと自然が織りなす景色に身をゆだねる。定期的な草刈りだけで農薬を使わず伸ばし放題好き放題の植物たちは伸び伸びと自分の居場所を見つけながら短い夏を謳歌する。そこに小鳥たちはじめ野生動物たちも闊歩しまくる。農薬を使わず4年目の春にはニオイヒバの木に「春蝉」がはじめてやってきた。この地に住めばすむほど大好きで愛おしさが増してくる。雪かきが大変とか寒いとかいうが、ここは蝦夷地だ。蝦夷地はそういうところだ。猛吹雪になったとしてもせいぜい2、3日だ。1週間も2週間も続かない。空知川からのぼってくる濃い霧に覆われる早朝は雲海が見え、霧虹も見た。冬に向かう天気雨の後には虹を端から端まで見渡すことができる。雪に覆われた大地の美しさ、樹氷、霧氷、雪の結晶までもが愛おしい。氷点下10度を超えたときに見られるダイヤモンドダストは、息を飲む。この冬こそ、サンピラーを見たい。この大自然に飽きることはない。日の出の時間もいりあいの時間も愛おしい。

ひと粒の茶の蕾は、新たな地で生きている証になっていく。


おん。




私は、絶対に、東電を許さない。政治家も、官僚も、許さない。
絶対に許さない。
頭を下げるのは、もう見飽きた。茶の木殺し。人殺し。

…怒りに駆られてどうしようもなくなるときは馳氏の「神の涙」を読む。そしてフクシマを調べなおす。明治の時代まで遡って調べる。いつも同じ答えにたどり着く。擬似消化ではないが、あの本には、次へ進むための言葉も含まれている。
みんな綺麗事で終わって忘れているが、私は忘れることなどできない。

胆振東部地震は、泊原発が爆発しなかった。
ボロボロの原発からは、常に放射性物質は出ているが。
北電は、原発を動かすな。
すでにできている火力発電所を、なぜ使わないのか。
この期に及んでブラックアウトにしたことを恥じよ。
地震の数日前に新たな「原発燃料」を搬入していたのは、どういう意味だ。
ブラックアウトを利用するな。




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by iroha8788 | 2018-10-21 07:20 | おはようの時間
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この地に引っ越してくる前からあった*背高のっぽになれない栗の木の下に、今年は豊作でたくさんのイガイガがおちはじめた。

うちの分は、これだけ。まぁ、いいっか。

今日こそと思い早朝に見にいくと、ほとんど食べられてしまったあとで、食べ残した硬い皮には、先端が尖っているらしき歯型がついている。あの痛いイガイガをこじあけて食べるのは、手先の器用なアライグマだろうか。食べている姿を想像すると、ニマニマしてしまう。いちばん面白いのは大きい実だけを食べていて小さい実や薄っぺらい実を見事に残していることだ。さすがだと思うが、おかしくて仕方ない。

大小2本の栗の木がある。大きい方は、何歳かわからないが、すでに幹の太さは直径10cm以上ある。小さい方は、まだまだおチビちゃんで今年初めて実がなった。3歳になったのかな。
いずれにしても実がなる木があることで、木も観察できて、実を食べにくる野生動物たちも観察できる。木があることで、自然界と繋がっているような「気分」を味わえる。1番最初に栗の実をうちの敷地に落としていったのは誰だろう。

次は去年の秋に、リスの真似をしてラボ花壇に皮付きのクルミを埋め、この春に発芽した「クルミの木」に実がなるのを待とう。あと何年かかるだろう。

どうかエゾリスやエゾシマリスが見つけてうちに来てくれますように。

おん。


*大きい方の栗の木は、巨大田んぼに日が当たらなくなるからだろう…田んぼの持ち主の方が生長点をとめ、田んぼにかかりそうな枝をバッサリ切ってあったので2mくらいの高さでとまり、横に広がりながら生長している。私たちが住むようになってからは毎年雪が積もる前に、はみだしそうな枝を落とす。切った枝は株元に細かく切って散らすと1年で土に還る。春の芽吹きのころには落とした枝の脇芽が伸びモコモコ繁茂して農薬から守ってくれている。ヘンテコ樹形になっているが農薬から守ってくれる大事な栗の木だ。もう1本のおチビちゃんの木は田んぼから離れているところに生えているので何もせず見守っていこう。



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by iroha8788 | 2018-10-18 10:57 | おはようの時間

ことりたちへ

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小鳥たちの囀りと日に日にほそくなりつつある秋の虫たちの声だけが響く中で「冬の貸し切り時間」がすぐそこまできている。

このバラは「ハマナス」と「ノイバラ」の遺伝子が入っていることはまちがいない。自然がつくりだした個体差を楽しもう。それで、いい。この子に関してこれ以上探ぐるのはやめる。知らなくてはいけないことと、知らなくてもいいこと、または、そっとしておくべきことを想像する。

かわいいローズヒップをながめながら、ひとつだけいただこうかと思いつつ一週間が過ぎてしまった。先日の嵐で山々の食べ物も減ってしまったと思う。今年はやめよう。もっとたくさんの実がなったらお裾分けしてもらおう。

いつもかわいい姿を見せてもらったり囀りを聴かせてもらっている、ことりたちへのお礼に。


おん。


夜中、気分転換にと外へ出ると、はじめてオスのエゾシカとバッティングした。立派なツノを持ち堂々とした姿に嬉しくて思わず「キャーッ」と声を出してしまった。これが失敗だった。すぐに逃げてしまった。観察できなかった。ものすごく悔しい。

車がきても「はいはい。どいてやるよ」とノソノソ目の前を横切っていくのがオスのエゾシカだと主人に聞いていたが、私の歓喜の声には、逃げるのか?そんなに大声だったろうか。「驚かせてしまってごめんなさいよ」と思うが、やっぱり悔しい。この次に遭うときは声を出さないように気をつけよう。
朝の見回りに行くとRosa glaucaの葉っぱと枝の先とchapeau de napoleonの葉っぱを見事に平らげていた。そしていつものところに、しっかりちょっと大きめのチョコボールのような落し物ををポロポロと大量に残していった。グラウカは好物だとわかっていたが、ナポレオンの葉っぱを食べるとは。あの青臭い葉っぱは、もうすぐ落葉することでにおいが消えているんだろうか。確認したくても葉っぱはない。春先に新芽を食べられるのはいつものことだが、今の時期は硬くておいしくないように思うのは私が人(一応人間)だからだろうか。それとも、よほど山々に食べ物がないのだろうか。嵐でもとれなかった葉っぱは、オスのエゾシカのお腹の中に消えた。今日も自然界では生きものたちが姿かたちを変えながら循環している。






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by iroha8788 | 2018-10-16 14:02 | おはようの時間
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空知川からのぼってくる濃い霧が一度ならず二度押し寄せては消えて日が差しはじめたころ「パンクチュラータ」の花がひらいた。

蕾があがってから二週間、待ちに待った最初の一輪だが、ちっさっ…本気の小ささだ。株の大きさ、葉っぱや蕾の大きさからしてわかっていたにしても小さすぎてカメラのピントがなかなか合わない。その大きさは米粒ほどだが蕾も同じでひらいた花は予想どおり「なんて可愛い子なのよ!」と言いながら花に鼻をくっつける。香りはしない。匂わない。まだ香りを漂わせる時間じゃないのか。あがっている蕾がすべてひらかないとわからないくらいの微香なんだろうか。同じクラッスラ属の「茜の塔」のように夜になってからにおいはじめるんだろうか。


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あぁ…「茜の塔」には参った。においに敏感な私が、夜中に「納豆くさっ!」と目が覚めてしまうほどだった。そしてその疑惑を熟睡している主人を叩き起こし「納豆食べたでしょ」となげつける不手際をおこし「夜中に納豆を食うかよ…」と呆れられた挙句にあやまる羽目になってしまった(主人は夜中にこっそり冷蔵庫をあけてチョコレートを食べているのを知っている。匂いでわかる)。納豆のにおいの元をたどると「茜の塔」だった。内地ならばまだ屋外で過ごせるが、気温差が激しすぎたためすでに室内においてあることで室内に充満した納豆のにおいだった。納豆のにおいは納豆だから納得できることであるからして頼むから堪忍してほしい。私が目当てではないとわかっていてもだ。

おん。

パンクチュラータの香りについては、後日ここに追記しよう。

1日1輪ずつひらいていく花だが、まだ香らない。匂いがしない。小さなオカリナのような葉っぱに気孔の穴が空いていることからついた名前「パンクチュラータ」の開花3日目の朝だ。
その後も、パンクチュラータの花の香りは確認できない。




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by iroha8788 | 2018-09-27 07:29 | おはようの時間