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カテゴリ:いりあいの時間( 35 )

いりあいの三日月

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18時42分。この時季の日がのびつづけるいりあいの色を見に外にでる。
動植物たちに「おやすみなさい」のあいさつをしながら今日1日のことがらを思い反復する。


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芽吹きはじめたハルニレのオーレアを見あげるなかに小さな三日月をみつけた。

「あなたも、お月さまがお似合いね。ニレさん」と言いながら幹をさわると、この春いちばん最初にエゾシカが幹の樹皮の半分を食べられてしまって、ネットをグルグル巻きにしているところをなでる。「ぐるっと一周食べられなければ、大丈夫。生きてね…」エゾシカ剪定が本格的にはじまった。今年はエゾシカの個体がちがうのか。ハマナスの葉っぱもムラ食いしている。エゾシカの個性が際立つ。生きものには、みんな性格がある。好き嫌いは野生動物にはないだろうと思っていたが、人間が関わらないところでは、きっと好き嫌いもあるのかもしれない。そして1度食べて「おいしい!」となると毎年欠かさず食べにくる。それもこれも自然のものだけではなく、人間が作っている作物もだ。野菜でも果物でも何でもかんでも「甘い」のを好むようになった今、当然、野生動物だって「おいしい」となる。

自分で餌をまいておいて「害獣」といい殺す。ちっともフェアじゃない。

しかし野生動物たちや植物たちにもフェアもアンフェアもない。生きていくために食べているだけだ。そしてさまざまな方法で殺され絶滅させられる。もう取り返しはつかない。このままだと、ますます無理だろう。

ハルニレを迎えるときからお世話になっている造園の方が状態を見にきてくれた。「来年は、金網を二重にして巻くしかないですね。そうじゃないと枯れてしまう」と言われた。金網か…。仕方ないとはいえ、切ない。


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実生桜の花が今年も咲いた。

先住民のこの「木」は、私がここに住む前から、少なくとも10年以上前にスズメの落しものとなって生育場所を確保した。ここはぐるっと回りこまないと見られない。家のなかからは見えない場所だ。はじめて去年咲いた花びらのかたちで「桜の木」と確信できた。私たちから見える場所に移植しようかとも思った。しかし1度根付いたものを移動させるということは「根っこを切る」ということで、それは目に見えないいちばん大事な根っこを切ってしまうかもしれない。何にでも「適度」があると思う。ここに落とされて発芽条件、生育条件がそろい10年以上もここで生きてきた木だ。植えるのも伐るのも人間の勝手だが、そうではない木があってもいいのかもしれない。調教師さま(主人)と相談をして移植することをやめた。
実生桜の木は開花まで10年以上かかると知ったのは河津さくらの原木を見にいったときだった。
こんな可愛いらしい花が見られるのもニオイヒバの木に巣があるスズメのおかげだ。私は何もしていない。余計なことは、やめよう。


今、19時まで外は明るい。そして朝は3時半には明るくなりはじめる。
蝦夷地は夏に向かって日照時間がますます長くなる。草たちはあっという間にすくすく伸び、放っておくと私の背丈をこえる。最低限の草刈りの時季がやってくる。

最低限のことだけをしていることで、微生物が増え、虫たちが増え、小動物も増える。今年はキタキツネのジャンピングハンティングを見てからというもの、頻繁にうちにやってくるようになった。いつか「こいつ、何?」と思われないようになりたい。いつかキタキツネから返事がもらえるようになりたい。たとえ「チェッ。しっかたないなー」という顔をされながらも聴力が20000hzをこえる見目姿も恰好いいキタキツネに。

近所のおじちゃんに「いつも草のなかにいるね」と言われるが、今年もさっそく「また!草のなかにいるの」と言われたが、おもしろすぎて、楽しすぎて、もはやそうならざるをえない状況はつづき、いりあいの三日月を見ながら、ひとり大笑いをしている。あぶない人間ではない。ただますます野生化しているだけだ。











by iroha8788 | 2019-05-10 08:07 | いりあいの時間
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あぁ、何ということをしてしまったのか。どうして叫ばずに観察をすることができないのか。ここに住んで5年になるというのに。まったく!である。


動画でしかみたことがなかった、キタキツネの雪に顔をズボッっとジャンピング・ハンティングをはじめて目の前で見た。2度も見た。思わず部屋の中でピョンピョンしてしまった挙句に興奮のあまり叫んでしまった。すぐにキタキツネと目があってしまった。そのときのキタキツネの表情は「ヘッ。うるさいな。バカめッ」と言っているようだった。遭遇するたびに鳴き声の真似をしてあいさつをすると、いつも完全に見下した表情をする。3つの鳴き真似をするがどれも「却下」されつづけている。24時間365日外で生きている生きものに敵うわけはない。「却下」されつづけるも、キタキツネの鋭い目を見るたびに惚れぼれしてしまう。

キタキツネがハンティングするときのジャンプは、飛込競技の選手が飛び込み板から跳ねあがって飛び込んでいくのと似ているが、飛び込み板がないところでジャンプをするのは猫が驚いて跳ねあがる姿と似ている。しかし、ズボッと雪につっこんだ顔を出すと目の下のところまで雪がついて滑稽に見えるのは、私が騒いだせいでハンティングに失敗したからだろうか。白鳥が「おっとっとっとー」と言ってるとしか思えないランディングするときの姿とかさねてしまう(失礼を承知で書いている。私は運動神経反射神経ともに、ゼロであると自覚している)。

狙った獲物はヒメネズミだったかもしれない。

昨年の春先に、ニレの木と銀ドロの木とアオダモの木とレンギョウの木を植えたことでヒメネズミが食べるものも増えた。雪のしたの見えないところの樹皮を食べているかもしれない。完全に雪がとけたあとに樹皮を食べたあとを見つけたときを想像すると、悲しくも、この地に間借りしている私には何も言えない。すでにエゾシカにアオダモの木とニレの木の樹皮を一部食べられているが、幹をぐるっとひとまわり食べられていなければ枯れることはなく復活する。どこからか種が飛んできて生えたオヒョウの木も好物で毎年芯どめをされているが、食べられたあとの復活劇を見ていると食べられた方が生長がはやいのかと思ってしまう。原種バラのロサ・グラウカやハマナスもそうだ。食べられた方がシュートやわき芽をたくさん伸ばし豪勢に咲く。よって、うちでは「エゾシカ剪定」ということにした。それはアオダモの木を植えた直後にヤチダモの木が生えているのを発見して笑ってしまうこととも似ている。

ここのところ雪面に残ったキタキツネのあし跡は、このキタキツネかもしれない。なぜなら銀ドロの木の添え木にしっかりマーキングをして立ち去ったからだ。いつも銀ドロの木のところでいったん立ちどまったようなあし跡が残っているのも、これで腑におちた。
毎年この時期になるとペアになったキタキツネが2頭並んで走っていくのを見るのが楽しみとなっているが、今年はまだ見ていない。そのかわりではないが1頭のキタキツネのハンティングを見ることができた。このキタキツネは去年かおととしの2頭並んで走っていたペアの子どもだろうか。

この家に住みはじめて2ヶ月目にヒグマさまとバッティングし、アイコンタクトしてからはじまった野生動物たちとの遭遇回数は増えつづけている。ヒグマさまと遭ったことは、一生忘れられない貴重な体験だ。あの目が忘れられない。エゾシカは個体数が多く遭った回数はもう、数えきれない。しかしあの可愛いらしい目を見るたびに、この冬ボンサイ先生から「さばきたてだ」といただいた、まだほんのりあたたかい「巨大鹿肉のかたまり」を調理して*食べたことを許して!と思いつつ、おいしくて、どうにもこうにも鹿肉ジャーキーと鹿肉キーマカレーは忘れられない。冬毛が真っ白エゾユキウサギは、声を出すかわりに頭の中で何度も可愛いと言うしかない。しかし春になり換毛期をすぎ茶色になったエゾユキウサギはラボ花壇のセリ科アストランティア・マヨールの新芽を可愛い口で必死に食べていた。その口のモグモグ加減もたまらない。根っこが生きているので花の時期が多少遅くなった以外支障はない。さらにはカーテンを開けると、これまた個体数が増えまくっているモコモコ歩くアライグマが私を完全に無視し目の前を通り過ぎて行くことも数回。エゾタヌキは、申し訳ないが「見つかっちゃった」と思ってからの逃げ方がおかしくて仕方ない。頭隠して尻隠さずを何度見たことか。ユーモラスである。カラスのカースケは、風除室のガラス戸を開けていっぽ踏みだす前に、納豆の空パックの切れ端。農家さんが使う透明なビニルテープの切れ端を線をひいたように整えて置く。そしてつい先日、森で無事に越冬し戻ってきてからの第一弾が「テンの頭蓋骨」だったことには主人も悲鳴をあげたが、私は観察しまくってから埋葬した。すばらしい牙と歯並びにうっとりするほどだった。そして半野生猫のミースケは、スズメやシジュウカラなどをハンティングして置いていく。あぁ、ミースケよ…。小鳥たちもしっかり埋葬している。

動植物を観察しているとあきる暇はない。

今日はキタキツネのジャンピング・ハンティングを見ることができた。16時40分からはじまり私のせいでほんの数分だったが見ることができた。こうして書いている間もあのときの光景が何度もよみがえってくる。


ピントを合わせる余裕がなかった写真は「興奮度をあらわしている」ということにさせていただく。


*「食べたことを許して」
この言葉とおなじようなことを結婚したばかりのときに言ったことがある。すると穏やかで無口な主人が、驚くほど声を荒げ「だったら、米も野菜も何も食べるな!」と、凄まじい勢いで叱った。その通りである。食べるということは、そういうことである。




by iroha8788 | 2019-03-21 19:56 | いりあいの時間
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とにかくイライラがおさまらなかった。理由もわかっているが単純すぎて誰にも言えない。

そういうときはいつも「落ちつけ落ちつけ、どーどーどー」「はい。深呼吸をしてー」などと頭の中でとなえているのだが、その日はどうにもおさまりがつかず洗面台に向かい、思いきり洗顔しまくることにした。これがよくなかった。

洗面台に向かい水を出したとたんに、なぜか脇においてある棚のうえの、まだ出したばかりでいち枚も使っていない新しいティッシュの箱に手がぶつかり、ティッシュの箱はそのまま洗面台の蛇口真下へ、さらにはティッシュの取り出し口めがけて水がこれでもかと流れる。なんで?まだ出したばかりの新しいティッシュの箱はみるみるうちに水を溜めこむ…その光景にかたまる。なんで?とアワアワヌワワしているうちにティッシュの箱から水が溢れ出しチャッポンチャッポンしてくる。やっと水をとめてからふっと思う。なんですぐに水をとめなかったのよ。いったいどうやったらティッシュの箱に手が当たるのよ?なぜにティッシュの箱さんは、よりによっての蛇口の真下に飛んだのよ。
なってしまったものは仕方がない。

洗面台である程度の水を切ったあとストーブの前を陣取り、バスタオルをひろげビタービターのビショービショーになってしまったティッシュを、ビタービターのビショービショーの箱から慎重に取り出し、二枚重ねのティッシュを乾かすときの虚しさは想像をはるかにこえた。濡れたティッシュは始末が悪い。また短気をおこしそうになる。でも今度はこらえた。最後までぜんぶきれいに乾かした。いち枚いち枚ていねいにのばし交互に重ねあわせていると新品のティッシュだったとは思えないほど、すっかり見た目も肌触りも変わってしまったが。

仕事から帰ってきた主人が、見た目も肌触りもすっかり変わってしまったティッシュを見た瞬間にいったことは書くのをやめる。言いながら顔をしっかりニマニマさせていたということだけで十分であると思われる。

イライラがどうにもおさまらないときは余計なことをせず、じっとしておいたほうがいい。そしてこういうときこそ、サボテンの美しいトゲトゲドアップ写真を見ては、うっとりしているほうがいい。

短気は損気の踏んだり蹴ったりの出来事は、こうして書くことにより消化され浄化されつみかさねられていく。



by iroha8788 | 2018-11-28 14:43 | いりあいの時間

Snowing



今、霙まじりながらも木々たちや枯れたまま残している草たちに雪がつもりはじめている。
どんなにこの日を待ったことか!と大げさに書くほど待っていた。

この冬は、一番最初の本格的に雪がふるなかをこの歌をうたいながら歩くと決めている(歌詞の内容に関しては、いっときだけ考えないことにする)。しかし、まだ気温が高い。サラサラ乾雪になるまでは、もう少しかかる。今ふっている雪ではビショビショ湿雪で、よろしくない。

ここに住みはじめた4年前、雪がふりはじめたのを見ると居ても立ってもいられず外に出て、べつに何をするわけでもなくただ嬉しくて雪のなかを歩きまわり…ビショビショになって部屋に戻り笑われた。そのときの悲しさといったら、髪は完全なるワカメのようになっており、どう見ても、いや見ないほうがいい。それどころか見なかったことにしたほうがいいくらいだった。鏡に映ったあはれな我が姿には、気絶するかと思った。道理で子どもたちでさえ外で遊ばないわけだ。さすがである。即席道民では、わからないことだ。それからというもの、毎年ふりはじめの雪の時間は「今年も、きたのね。ついに、きたのね」とピョンピョンすることはあっても部屋のなかから眺めるようにしている…と書いている間に、どうにもウズウズがとまらないので、長靴はいて傘さして、少しだけ歩いてこよう。この冬の初雪は1ヶ月近く遅かった。待ちに待ってしまった。結局のところ、雪のなかを歩くのがたまらなく好きなのだ。でも、もうビショビショにはならない。蝦夷地冬モードだ。

おん。

サラサラ乾雪よ、はやく降っておくれ。
去年は10月23日に雪がつもっていた。




by iroha8788 | 2018-11-19 15:11 | いりあいの時間

いりあいの時間

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いりあいの時間、顔をあげると窓から「桃色」が視界に入ってきた。我慢できず走って外に出ると、桃色の空はどんどん灰色の雲のなかに消えしまい、そのかわりのように北西の方角に一直線になって燃えていた。「刻々と変わる空」というのは、こういうことを言うのだとつくづく思う。これからこの地は、ますます燃えるような夕焼け、そして朝焼けが多くなる。冬は間ちがいなくはじまった。あとは、初雪を待つだけだ。

おん。

マイナス0.2度の今朝、真っ白に霜がおりた庭の様子を見ながら歩いていると指先がわずかに痛い。吐く息は、ますます白くなっている。
ギリギリまでガラス越しではない日の光をあびてもらおうと外に出しておいた植物たちも部屋に入れよう。凍死してしまう。部屋の中は暖かいけれど乾燥地帯だ。植物たちに水やりすることで部屋の湿度もいくらかは保てる。ローズマリーやセンテッドゼラニウムたちの香りもくわわり、物が少ないうえに最小限のものしか置きたくないガランとした部屋が、冬の間は窓辺だけが賑やかになる。もう少ししたら、ミニシクラメンもモコモコ葉っぱの中から蕾をあげてくれる。




by iroha8788 | 2018-11-08 07:07 | いりあいの時間

春告草

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ころがれころがれ指輪よ
ころがれころがれ指輪
春の玄関口へ
夏の軒端へ
秋の高殿へ
冬の絨毯の上を
新しい年の焚き火をさして



小学校1年生になる春休みだったろうか。
テレビで「森は生きている」という映画を観た時に内容よりもこの映画の中で呼ばれていた「待雪草」にとても惹かれて、この花を見るたびに覚えてしまったこの最初の部分の「呪文」を唱えてしまう。

「待雪草」「スノードロップ」「コモン・スノードロップ」「ガランサス」「ユキノハナ」そして「春告草」…一体いくつの名前があるんだろう。ちょっと調べたら驚いてしまった。
植物の世界もどんどん新しい発見がなされていて、わたしが今まで覚えてきたことは、もうあてにならなくなっているということも納得しつつ、また一から覚え直さないといけない状況になってしまっていることが楽しく原種好きのわたしには、ますます覚えないといけないことがたくさん出てきた♪

ヒガンバナ科ガランサス属のこの球根植物は、今では秋口になるとどこの花屋さんでもHCでも見かけるが私が幼い頃には見たことはなかった。それでもあの時の強烈に残っている「待雪草」を蝦夷地にてまた新たに迎えられたことは感慨深い。
この地に移住してすべて何もかもやり直しをすることと、今まではずっとベランダで鉢植えでしか楽しめなかったことすべてをできる限りこの地でやり尽くす。10年単位で少しずつ少しずつ自分がやりたかったことを続けていく。ますます植物に関しても諦めが悪くなった感じがして自分でも笑ってしまう。

ついさっき、雪解けが進んでいるところを眺めていたら見つけた姿は、去年よりももっと、ずっと頭に描いていた咲き方をしていて理想的な咲き方だ。
そして色々調べているうちに、「春告草・はるつげぐさ」という名前がしっくりきてそう呼ぶことに決めた。
内地であれば「春告草」は『梅』のことでもあるが、蝦夷地でも私が住んでいるところで「梅」は越冬ができない。だからこそこの名前を呼ぶことにしよう。

白鳥がシベリアへ帰った翌日の今日「春告草」の最初の一輪が開花した。

単純なわたしは、この一輪の花を見つけただけで今日の1日が最高の日に変わってしまう。
どうしようもない腐り方をしているどうしようもない国にいても自然や動植物には一切関係ないことで、それは何があっても自分の意思で進んで行くことへ繋がっていく。
もう勝ち負けも良いも悪いも右も左も何もかも人間がしていることのバカバカしさに煩わされていること自体、植物からしたら「関係ございません。だから、何ですか?」と言われているようだ。落葉する木々たちが葉を落としその株元では様々な微生物や小動物たちが土を作り栄養豊かでふかふかな地に変えていく。そしてそれは結果的に木々たちの栄養となり続いていくその繰り返しを、少しずつ目の前で出来上がっていく様を見続けられることは私にとって本当に素敵なことの連続となる。
想像しただけでワクワクドキドキが止まらない。
ずっと朝の散歩でこの地に話しかけていた答えを見つけられた気がする。
「余計なことは、しなさんな」という声に忠実に真摯に向き合いながら。

10カ年計画のうちの3年が過ぎ4年目の今年はまず「木」を植えよう。
どんな木を植えるか。この地に合った木々たちの候補は考えている。
仲良しになった盆栽の先生のおじちゃんと造園業者のおじちゃんとガーデンデザイナーの方と相談する日が待ち遠しい。

「葉むら草むらなんちゃってガーデン」の変化を楽しんでいこう。







ただし、放射性物質の汚染は終わっていない。
東電、政治家そして官僚とその取り巻きがしていることも忘れない。
いずれ被ばくしたこの身が消えたとしても私の魂に刻み込まれている。


おん。



by iroha8788 | 2018-04-05 19:20 | いりあいの時間 | Comments(0)

埋もれた

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昨日今日と猛吹雪で積雪量も物凄いことになった。完全に雪に埋もれた。
あとは明日の雪かきを頑張るのみ。

それにしても、自然の脅威(本物ならば)は、凄まじい。またこれで私の経験値があがった。

この冬だけで7回の陸の孤島と化したが、まだ冬は終わらない。

今回も踏ん張った我が家に感謝する。



おん。




by iroha8788 | 2018-03-02 15:41 | いりあいの時間 | Comments(0)

幸せの循環

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夕方、私の目の前で一輪のシクラメンの花がぽとんと落ちた。
それは結実して花弁の役目を終えたことを知らせてくれた時でもある。

シクラメンの受粉媒体の正体は私だ。
毎日朝昼夜の声かけとともに葉っぱに大量に落ちる花粉を拭き取るときに花にも触れているからだ。

F1品種でもあるはずのこのシクラメンは企業からしたら失敗作であるが、ちゃんと受粉して種が育ち始めたと知らせてくれていて、私にはとてもとても喜ばしいことだ。

この種を採取して誰かに送ろうか・・・。
シクラメンを、種をまくところから育ててみたいという人がいるならば・・・・・。
発芽の様子を見ることが、幸せと感じる人がいるならば・・・・・。

「種子法」がなくなってしまったら、こんな楽しいこともできなくなる。

完全なる遺伝子組み換えの食べ物ばかりになるんだろうか。
その作物を作る農家さんは、この事実を知っているんだろうか。


今、巷にあふれている種は、ほぼ結実しないように遺伝子組み換えされた種になってきている。そのきっかけは広大な畑の中で見つけられた結実しない1本のトウモロコシが発見されたことからはじまったらしい。逆転の発想が悪魔に利用されてしまうそれは「種屋」が半永久的に儲けられると同時に私たちは不稔性の食物を食べさせられ続けその影響は、またもや新たな病を生み出しまた次の大企業と医療機関が儲かる仕組みへと繋がっていくらしい。調べればいくらでも出てくる話になってしまっている。
今の「食品表示」は、ほぼ嘘らしいから、もうとっくにそれは始まっているのだろう。

でも中には、こういう「企業の最高の失敗作」があり、それこそ生き物本来の姿である「幸せの循環」を見ることができる。

「結実しないことが成功」したことになるなんて、、、。
自然の摂理に逆らうどころか破壊しているだけだ。
狂っている。

狂いはじまったのは、いつなのか。
狂わせようと企てたのはいつからなのか。
それも調べれば見つけられることだ。




by iroha8788 | 2018-01-26 07:39 | いりあいの時間 | Comments(0)

お気に入りの場所にて

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富良野のお気に入りの場所にて。

北海道に住み始めた頃、とにかく「探検」と言いながら富良野方面もドライブしていた。
シーズン中の混乱を避けるためになるべく裏道を探すことが重要だった。
その時に見つけた場所は今、「内地を祈る」場所になった。
ここから見えるずっとずっと先には、私の大事で大好きな人たちが住んでいる。
そして国内だとしても、「一大決心して飛んで無事に着地できた。ありがとうございます。」と思う。

白銀の世界は時に「青の世界」となる。
冬の厳しさは覚悟の上だが、それよりも何気なく通る道から見える景色や毎日見る我が家からの刻々と変わる景色がたまらなく愛おしい。
そして今は何よりも野生動物たちの足跡を見つけること、さらに今月からは「ダイヤモンドダスト」いまだによく見ることができていない「サンピラー」などが待っている。




by iroha8788 | 2018-01-03 17:35 | いりあいの時間 | Comments(0)

エゾシカの悲鳴。

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夕方外に出ると「キャーンキャーン」という甲高い声が響き渡っていた。

これからの時期は、ライフル銃の音が「パーンパーン」と山々に響き渡るとともに時折エゾシカの悲鳴も響き渡る。鳴き声を聞いた瞬間、エゾシカが罠猟に掛かったんだと、今年も狩猟が解禁になったんだと思い、声のする方を見て祈る。
ここに住むことになった最初の冬の始まりに実感したことだった。
この音もここに住むということの一つだと。

農作物を失敬し食べ散らかすをこえて「食い荒らす」エゾシカの被害は農家さんたちにとって死活問題で、それこそ「自衛隊の訓練で撃ってくれればいいのに。あんな税金の無駄遣い!」という方もいるが、こうなるきっかけを作ったのは、何なのかを、誰なのかを問う人は誰もいない。
「エゾオオカミを絶滅させたからでしょ」
ある時、あまりにも度がすぎるほどに言い始めたのを聞いていられずに私が放った言葉だ。そして、しばらく沈黙が続いた後に出てきた返事は、
「オオカミがいたらおちおち寝てられない。あんな危険な獣はいなくていい」
絶句してしまった。

誰が危険なんだろう。
誰が厄介なんだろう。
誰がこの地を汚しているんだろう。
誰が余りに余った農作物を埋めることもせず放置して「餌」を与えているんだろう。


ここに住んだばかりの時に、
「今は、女の人でも鉄砲撃ちがいるから、資格取ってみたら?」
と幾度となく言われたことがあったが、私が即答したことは、
「もし、私が免許を取れたら、いの一番に総理官邸、そして国会議事堂に行きます!」
ということだった。周りの方々は凍り付いていたけれど、そんなに私の冗談は通じないほどの本気度満載だったのだろうか?隠すこともないか?元福島県民の私の怒りなど、と密かに笑いを堪えていながらもお腹がよじれてしまった。

森友・加計・無罪にしたレイピスト山口を隠蔽した、国難の張本人さまよ。忘れていないから。

禁猟になる春先まで約350頭のエゾシカが捕獲される。うちの周りの地域だけでだ。
それでも一向に減ることはないエゾシカ。
さらに追い討ちをかけるように、アライグマもネズミ講式に増えている。
アライグマもここに来た年に引っ掛ってしまった檻の中で最後の晩餐をしているのを目撃してしまった。
ペットとして勝手に連れてこられたアライグマは、ペットショップから脱走した5匹が全道に広がっているという。本当にペットショップから脱走したんだろうか?本当にたった5匹の脱走だけなんだろうか?真相は明らかになることもなくアライグマの生息地がどんどん広がり続けている。
さらに自然遺産となった「知床」では、禁猟地となっている為エゾシカが増えてどうしようもなく「吹き矢」で捕獲することにしたらしい。
世界遺産も自然遺産も、何だか不要の賜物にすぎないような被害が出ているのは、どういうことなんだろう。


エゾシカの悲鳴を聞いたら、覚えたばかりの「カムイ・ホプニレ(山で殺された、キングカムイ羆の為の熊送りの儀)」をエゾシカように自分なりに変えて唱えようと決めた。
ウタリの方々はその後しっかりその肉をいただいたと思うが、どうにもこうにも大量の農薬化成肥料入りの作物を食べていたことを知っている以上、申し訳ないが食べたいと思わない。今はやりのジビエ料理と聞くたびにそのことも浮かんでしまう。一体どこまで・・・・・と。

エゾシカの悲鳴はこの地の悲鳴でもありそれは、内地も同様で地球上で起きていることすべてに繫がり結局、人間がしでかしたことが積み重なって何億倍にもなって返っているだけに過ぎなく、それを宇宙時間で考えると「点」にもならないハンカクサイな出来事なのかもしれない。

メメント・モリ






by iroha8788 | 2017-10-12 08:33 | いりあいの時間 | Comments(0)

動植物たちとの日々


by 葉花