カテゴリ:そういう時間( 135 )

pinhole




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22年前の今日、食器を洗っているときにポタンという音がしたような気がした。気になりだすととまらなくなりシンクまわりを隈なく探した。

シンク下に水滴がひとつ落ちていた。シンクに小さな穴を見つけた。画鋲の針よりも細く小さかった。しかしその小さな穴からこぼれてくる蛍光灯の光を見たときの「感覚」を覚えている。

仕事から帰ってきた主人にいうと、家にも置いてある、いまだに私がさわるとうれしくない「主人専用の工具箱」を持ってきてすぐにpinholeを直してしまった。そのときはじめて「ピンホール」という言葉を主人から教わった。
機械屋の主人からは、いまだにそういう言葉や専門用語を、突発的あるいは自動的に聞かされる。覚えきれないうえに算数嫌いな私がトドメのようにさまざまな現象事象を聴くのは気が遠くなりそうになるが、機械の構造など難しくついていけないときは、私用に花や葉っぱの構造にたとえて教えてくれる。その話を聴いているうちに人間が作ったものはすべて自然界から得ているのだとあらためて実感する。

一度、コーヒーミルの掃除をしようと勝手に工具箱から精密マイナスドライバーと六角レンチを拝借した。すっかりきれいに洗って乾かしてしっかり元に戻しておいたが、主人が工具箱をあけた瞬間に、ばれた。怒ることはないが、いい顔もしなかった。それ以来、主人の工具箱には一切さわらないようにし、私は私専用のコーヒーミル掃除用のドライバーセットを買ってもらった。

引越しをするたびに水を出してシンク下も確認するようになった。どんなに綺麗に掃除されていても、新品のものであってもだ。
葉っぱいち枚完璧につくれない人間に、完璧なものなどない。

小さなpinholeならばすぐになおる。ただし「質」にもよる。そう考えると、小さな疑問をそのまま放置し、やがて大きなほころびにもなることと似たようなことだとも思うようになった。

目に見えないようなpinholeからふりそそぐ光をみつけた。
ふりそそぐ小さな光を、幸、不幸などという感覚は、もうない。
事実を事実と受けとめつづけられるかどうかだ。

ボロボロになった薄紙をあしもとに垂直に重ねつづけてきたせいか、幾分、遠くがみえるようになった。

一匹狼職人になった主人と私の生活は、もうすぐ22年を迎える。




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by iroha8788 | 2018-11-27 23:13 | そういう時間

それぞれの

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生きているかぎり、それぞれの「帳尻合わせ」がある。
生きもののなかで、いちばん愚かな人間には「表裏の帳尻合わせ」があり、様々な形でやってくる。

定期的に4度、死にそこなって、煤水をはいても生きかえったからには、「生きた化石」と言われようが、事実事象を直視し、味わいつくし、その日まで実感しつづける。

たかだか47年の人生のなかで2度も「生きた化石」と言われたことを「最高の僥倖」とし、次をみる。

おん。

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by iroha8788 | 2018-11-13 18:15 | そういう時間

Mini. Green Ice

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秋の薔薇というよりすでに初冬の薔薇だが、Mini. Green Ice は今年最後の花を咲かせている。今年もよく咲いてくれた。春の一番花と秋の三番花は寒さで紅く染まる。

毎年新しい品種が誰がつくっているかわからない流行り廃りとともにでてくる。だんだん新品種に興味がなくなってきている自分がいる。いいものはいい。確かにそうかもしれない。でも何かちがう。育種家さんたちの消えることのない情熱もわからないでもない。ただ魅力を感じる方向が変わった。自然交配して生まれた植物たちに「気」が向くようになった。何より、ずっと昔からある植物たちのことをまだまだ把握できていない。完全に把握できるはずもないが、諦めるものでもない。私の中で植物を知りつづけることは永遠に達成感とは結びつかないが、それでいいと思っている。まして牧野博士のフィールドワークの凄まじさにも敵うわけはない。だからだろうか、大事にしていた牧野博士の本が忽然と消えてしまった。本を読む場所、本を置く場所は、2ヶ所だけと決めていている。それでもいくら探しても見つけられなくて1ヶ月が過ぎようとしている。見つからないときは見つからない。出てきてくれるまで待とう。迎えたいと思っていた植物がぱったりと目の前に現れてくれるときのように。

毎年冬になると「薔薇大図鑑2000」を引っ張り出してきて眺めている…というよりも時間があけばすぐに手に取れるようにいつでも定位置におき、ページをめくりながら頭の中で迎えた薔薇やほかの植物たちのことも一緒に、来年、再来年、10年後を想像しながら再確認のためにネット検索をする。そして「この子とはいつかまた会えるだろうか」と迎えたい薔薇を浮かべていた。


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1971年にアメリカで生まれたミニバラの Green Ice には特別な思いを勝手にかさねていた。私と同じ年に生まれた薔薇を一種類だけ迎えたいと思っていたのがこの子だった。
蝦夷地に移住してからもずっと探していて去年ようやく2代目を迎えてから2回目の冬になる。テリハノイバラの遺伝子入りで丈夫で花がらを摘むだけで手のかからないいい子だ(環境による)。この世に生まれてから47年経っている。この薔薇は実を結ばない。しかし挿し木苗が主流となり、47年消えずに残ってきている。毎年たくさんの品種が生まれては消えていく中で残っていてくれたことは、子供を産めなくても生きてていいんだよと言われているようで、浅はかにも、泣けてくる。最初にこの薔薇を迎えた最大の理由はそこにある。13年前の話だ。しかし今では、この Green Ice がただただ可愛い。

今年も一緒にここの冬を越えよう。一緒にいれるだけいよう。
今日も傘をさして長靴をはいて歩きながら挨拶しながら言う。何度でも言う。


おん。

しかしながら私の想いなど植物たちには一切関係ない。そう考えるとより溺愛してしまう。



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by iroha8788 | 2018-10-31 08:46 | そういう時間

草むらに

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祖母から教わり、母も使っていた薬草を見つけたときは、まるで幼いころの自分に再会したようで嬉しい。

ここに住むと決まってから敷地内をみまわっていると草むらの中でひっそりと生きているウツボグサの葉っぱを見つけた。それからまわりの草たちを少し刈らせていただいて日当たりをよくし数ヶ月待ち、蕾が上がるまで本当にウツボグサかどうか確認し花の色を楽しみにしていると紫色でより嬉しさがかさなった。
わたしがずっと見てきたのは桃色の花だったが、紫色の花もあると知ったときからいつかその花を見たいといつも思っていた。ここでの再会でその花色を見ることができて念願が叶った。

日当たりのいいところへ移植して3年目の今年はずいぶん大きく広がって増えてくれた。この密集ぐあいがグランドカバーとなってちいさなウツボグサの絨毯ができた。
ただし芝生のようにずんずん踏みあるくのはためらわれる。ならばあまり歩かないところをウツボグサで埋めつくせたら、紫色の花で埋めつくせたら…そうしよう。
値崩れになりクリアランスの「アジュガ」を迎えてグランドカバーにしようとしたがこの春先にエゾユキウサギが食べてしまって消えそうになった。少しずつ増えてくれていたが仕方ない。
野生動物たちに食べられても、何事もなかったように復活する植物とそうではない植物の種類も覚えよう。

いつも思うのは、わたしのタネの蒔き方が悪いのもあるが、タネを採取して散蒔きするよりも自然に任せてこぼれた種からの発芽率がいいという事実だ。おととしはじめて苗を買ったサニーレタスは最後のひと株を残すだけで毎年こぼれダネで増え面白いように収穫できる。肥料も農薬もいらない。ときどき絵描き虫が葉っぱの中にもぐりこみ食べながらぐるぐるトンネルをつくるくらいで、うちで食べる分には十分である。

どんな作物にも蒔く時期があるようにウツボグサにもその時期がある。私はまだそういう部分で観察と試行錯誤と失敗と実感が足りないということだ。思考錯誤しながらいっぱい失敗して実感して覚えよう。種にも意思があるように、同じように蒔いてもすぐに発芽するものと数年たって発芽するものがある。
盆栽をするにあたって「水やり3年」という言葉があるが、私の場合は「種まき3年」という言葉もしっかりつけ加えないといけない。

1年目の失敗で2年目からはこぼれダネから育った苗を移植するようにしていると面白いほどどこに植えても無事に根付いてどんどん増えてくれるウツボグサには圧巻だ。

春のころに今年こそ収穫すると決めていたが、やめた。
どんどん増えていくのを見るのが楽しくて仕方なく、もっともっと株を増やしたい。
ウツボグサは蝦夷地にも自生している薬草と知っていても、まさか自分が住むことになった敷地内で会えるとは思わなかった。

ここに住みはじめてから何種類の植物たちと再会できただろう。
先住民の植物たちと、私が迎えた植物たちを合わせたら…何種類になるだろう。
この冬はうちのすべての植物たちのリストをづくりをすすめよう。
また楽しくなりそうだ。

今月は空にいる祖母と義母の誕生日の月だ。
そして、まだ一度しかここにきてくれない、母もだ。
「被ばく休暇においでよ」と毎回電話で言ってるのに。


おん。


ウツボグサは、花が枯れたあと刈り取って陰干ししたものを煎じて飲むと膀胱炎に効果がありますが、個人差があることもお忘れになりませぬよう。







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by iroha8788 | 2018-07-15 07:15 | そういう時間 | Comments(0)

雨のまにまに

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雨にうたれて花びらが傷まないうちにロサ・ガリカの花をつみ、濡れた花びらから広がっていく香りを感じながら深呼吸する。

思っていたよりも重なってしまった枝を切る。雨が続き湿度が高いことが挿し木や水挿しに適しているからこそ切った枝も無駄にせず発根を待つ。それは株を増やすことで楽しみをまた1つ増やすことになる。

株が充実していつもより多くの蕾があがる…この時をずっと待っていた。
この花びらは乾燥させたあと塩といっしょになってポプリになる。
そしてそのあと少しのエッセンシャルオイルをおとしバスソルトになり、残った花びらは土へ帰る。

ずっと迎えると決めていたバラたち、そしてそのほかの植物たちもその日まで、循環をとめることなく、四季を感じ植物が生長するなかで大事な命を愛でながら最後まで使い切る。

雨のまにまに漂うガリカの濃厚な甘い香りは至福のときをもたらす。


おん。




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by iroha8788 | 2018-07-05 17:05 | そういう時間
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ハナシノブ パープルレイン
Polemonium yezoense 'Purple Rain'
(エゾハナシノブの銅葉・カラス葉ともいう)

Polemonium・ポレモニウム
ギリシャ語の「Polemos・ポレモス」…戦争・争い・勝負という意味から。

*「タツタソウ」に続いてこの植物も「戦争」に関係したことが出てくるとは驚きだったが、事実は事実として記す。


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蝦夷地に自生する「エゾハナシノブ」の改良品種でもあるこの「パープルレイン」は春先の銅葉から気に入っているが開花した花びらの薄さが光を通し薄紫色の花を際立たせる。
蝦夷地にちなんだ植物を迎えることを嬉しく思うことは迎えるにあたって自分なりの「理由」を位置づけることでもあり「同じ生き物への責任」を負うことだと思っている。
もっとも、植物たちはそんなことに微塵の関心もないのかもしれないが。



おん。

*タツタソウ…今年はご機嫌ナナメで葉ばかりさんになってしまったが、株を充実させてくれればそれでいいと思っている。







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by iroha8788 | 2018-05-31 05:31 | そういう時間 | Comments(0)

木を植えたい

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この木は何歳なんだろう。

内地では「御神木」になっているような大木がここでは至る所で見つけられるが、それが道路のすぐ脇であったりすることが多く森の中でもそれは何も飾られることも祀られることもなく佇んでいる姿が誇らしい。

忘れもしない。
内地のとあるところでは、門を一歩入ったところで「御神木」として祀られ、門の一歩外では何の手当てもされないまま同じように樹齢を重ねてきた巨木なのに朽ちているのを見つけた時の違和感を。

この樹は住んで2年目の探検で見つけた綺麗な水が流れる小川のお気に入りの場所にいる。
しかしあの大雨の時、小川は濁流と化し、その姿流れを変えてしまった。
まわりの木々たちはほぼ流されたがそれでもこの樹は流されず、この樹を境にそのうしろの木々たちは守られた。
その理由は、この樹の根の張り方があるのかもしれない。

そして2年後の今年も芽吹きはじめた。
この芽吹きの色を見るととても嬉しくなる。

蝦夷地に入って来た人たちは、まず、どんぐりの木があるところを目指したらしい。
それは、どんぐりがどんな場所に芽生え生きてきたかを知ればわかる。

樹が倒れるときは、何か意味があるかもしれないし、ないのかもしれない。

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しかし、ある有名な神社の大銀杏のご神木が倒れたのを知ったとき、それだけではないのかもしれないと思った。
そしてそれは一度ならずとも二度もお布施を「株に投資して失敗した」という仏教の大本山でもある高野山からはじまり、お社の禰宜たちとは何なのか宗教とは何なのかを知らしめる大事件も起きた。

そこを守る人も、そこへ群れるひとたちも、もはや手遅れで、そこには神も仏もなく、
邪気のみを持つ邪鬼しか存在しないような気がする。

木は、植物は、発芽した時からさまざまな困難を乗り越えるという感覚もないまま淘汰されながらも生き残り物事を見聴きし黙っているようでたくさんのシグナルを送ってくれていると思う。だからこそ「スーパー雑草」と言われる復讐のような形をとりながらも消えることを拒んでくれているのだろう。それは地球上でもっとも多く存在している微生物、菌類、そしてその菌類を張りめぐらせネットのように根で繋がり連絡を取り合いながら共生して生きている巨木たち。植物同士が会話している事はもう、科学的に証明されている。
この人間のネット社会の現在はすでに何億年も昔から自然界で形成され行われてきたことだったと腑に落ちる。
私たちが生活している中でどれだけ自然界の生き物たちの「真似」もしくは「ヒント」をいただいているのかと思う。「恵み」という、ひとことで片づけるわけにはいかない。あのヘリコプターのホバリングでさえだ。

それにしてもエンデの言葉にある…
「私が腹立たしく思うのは、これまで自然に対してめちゃくちゃに破壊してきたから、将来は破壊の手段をもっと巧妙にしようというふうに議論が進むことです。つまり、原罪の工業組織、社会のあり方をそのままにしておいて、少し悪賢く自然を搾取しようという態度です。」
というのは、いつまで続くのか、つづいていくんだろうな…。


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少しずつこの地ならではの木々たちを植えたい。増やしたい。
蝦夷地ならではの木。はじめて知る木もたくさんあり調べているが、やはり底なし沼になってしまいとまらなくなってしまうが、最初に思った「エゾリスを呼びたい」「キツツキも呼びたい」ということを忘れずに、その姿を見るまで生きていられなくても、いつかそういう動物たちの楽園だった地に戻すきっかけを作れたら本望だ。



おん。





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by iroha8788 | 2018-05-20 02:46 | そういう時間 | Comments(0)

大切な人たちへ

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山々のコブシの花が終わりを迎えるころ、エゾヤマザクラたちが濃い色で咲きだし、まわりの木々たちも次々に萌黄色の芽吹きをひろげていく。

蝦夷地の山々は、本当に素晴らしい。

ますます蝦夷地が愛おしい。


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山が笑いはじめたよ。

今年も見ることができたよ。

どうかあなたも見ていますように。


そして消えることのないこの感情も、この身にすべて焼き付けているよ。

季節は間違いなくめぐるけれど、忘れてないよ。

おん。









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by iroha8788 | 2018-05-07 05:07 | そういう時間 | Comments(0)

呼ぶ子

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ケシ科サンギナリア属の「サンギニア・カナデンシス」が咲いた。

このサンギニアは私にとって「呼ぶ子」である。

去年とある花屋さんにて、はじめて植物に「こっち、こっち」という「音」としてではなく「呼ぶ声」が聴こえた方へ行くとこの子がいた。
私の植物への溺愛はついに頭を「放射脳」にしてしまったかもしれないと我を疑いつつその声の方向へ行く時のあのドッキンドッキンクラクラ感は忘れられないどころか今でも耳から離れない「こっち、こっち」という声で十数個並んでいるポット苗の中のひとつを探したのだった。
そしてそれは今日も10時34分に、また聴こえてしまった。
あ、もう、これは!うひょぉ~♪とワクワクしながら外に出てそばへ行ったその時の行動はわかる人にはわかるだろうが、本気でピョンピョンしていたことに間違いはないうえに溺愛しているのでそっと頰をスリスリしながら「咲いたのね~♪綺麗ね~♪いい子ね~♪」といったあとにしっかりクンクンすると「やっぱりチョーククチャい…」と言ってしまい「余計なお世話よ」と言われたところまでここに記しておこう。
こんなに美しく咲いているのになぜか匂いは「黒板」が浮かぶ「チョーク」の匂いがするのは迎えた時と同じで、どうにもあの石灰の粉っぽい匂いなのだ。
植物は人間なんかを相手にしているのではないので「チョーククチャい」と言われる筋合いはまったくないだろうが、この子のおかげで植物そして動物たちへの愛情はさらに深くなったことは認めざるを得ない。そしてこんな夢物語のような話でも、わたしには大事なこととしてカウントされ、これからへ繋げていくための大切な出来事のひとつとなっている。この出来事からひとつだけ思うのは「育つ環境で人間が関わった子ほど話すことが多い」ということだ。まだそれしか確信できていないのが悔しい。けれど人間よりも遥か昔に生まれていた「命」と考えるとそれも当たり前の話ではないかと思われる。到底「敵わない」ということで、それはたとえどんなに遺伝子組み換えをしても、植物には「先祖返り」という性質を持っていることを忘れてはならないのと同じく、人間も、もう何百年も前から「先祖」が自然界に対してしてきたことを考える時期がきていてそれは、生き物が本来の生き物として朽ちた躰を「土に還す」という意味を理解することへも繋がっているのかもしれない。

夕方、陽が傾くと花びらを閉じるこのサンギニアに「お休み、また明日ね」といい「植物たちともっともっと話しができるように…話しができるように、なる!」と呪文をかけるように挨拶をした。

おん。



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by iroha8788 | 2018-04-27 17:27 | そういう時間 | Comments(0)

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『動植物を責める前に、自分たちが自然界に対ししてきたことを、一度でもいいから、省みよ。』

『動植物を責める前に、今もなお、悪いとわかっていてもやめない、それどころか、堂々とその行為を自慢するという、その行動を一度でもいいから、省みよ。』

『この現状を見て、何も感じないのは、一体どういう脳ミソなのか。五感はあるのか。』

とストレートに言ったところで『無駄』なミギムケ右・ヒダリムケ左の思考力ゼロ人間のトドメは『地球温暖化だから』とか『認知症になってきてすぐ忘れるんだよ。物忘れがひどくて。』なんて、あっさり笑顔でいとも簡単に言い放ち、その『温暖化の真実』も『認知症の本当の原因』も思考する気もない洗脳し尽くされた丸投げ集団に、もう、かける言葉は何もない。
何が、孫は、可愛いだ。こんなボロボロになっていく地を残されて可哀想なだけだろう。

口を開けば、やれエゾシカが!アライグマが!と言い、さらには内地のイノシシよりはましか?あれは、突進してくるからなぁ。危ないもんなぁ。と言いはじめた日には、呆れてお話にならない。

「あなたたちがしてきたこと、今もやめないことに対して、復讐しているんだよ。それだけだよ。」

もっとも「復讐」なんて概念もないのかもしれないが…。

おん。


羆さまが、ついに目を覚ましたらしい。
今年のどんぐりの実のりは「表」になるか「裏」になるのか。
いずれにしても、羆さまが自らの体をもって子孫をどれだけ残すか決めることだ。
自然界の生き物たちは、人間を必要としていないかわりに、これ以上「壊すな」としか言っていない。

動植物は仮に、人間などに関係なく見せていたとしても『確実に復讐』しながらどんどん進んでいけばいい。リアルネイチャーズリベンジも、この身に焼き付けていこう。
政界からしてバカの頂点を極めている、どうしようもない人間の集団がいるということも。

地球の怒りで地球自身が壊れるのが先か、人間が自然界に復讐されて『エゾオオカミ』を絶滅させたように絶滅させられるのが先かそれとも、みんないっぺんに壊れるか。
その前に日本が影も形もなく潰れるのが先か。






今日も、先日土に還った仲間7羽の「カワラヒワ」の可愛い声が響き「ヒバリ」の囀りも聴こえ「キツツキ」のドラミングの音も近づいてきて「シジュウカラ」に続き今、「ゴジュウカラ」も初めてやってきて食事をしている。空き地では気温が高くなると大事なお掃除屋の「ツチグモ」が一歩あしを踏み出すたびに蜘蛛の子を散らすが如く地面を縦横無尽に動き出す。
羆さまが目を覚ましたことで完全なる春になってきたと感じ日当たりがいい土手には「フクジュソウ」と「エゾエンゴサク」が少しずつ咲きだしているのを見つけると、山が笑う季節がやってくるのも、もうすぐだと思う。
いとおしい。
ここの自然は、それでも本当に素晴らしく、いとおしい。



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by iroha8788 | 2018-04-16 08:08 | そういう時間 | Comments(0)