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カテゴリ:葉っぱ( 39 )

獅子葉桑

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「あなた、どうしたの?どんなウイルスに感染したの!」と、売られていたポット苗を手にとってタグを見たら「獅子葉桑」と書かれていた。

迎えてすぐに調べはじめたが詳しいことは載っていない。結実しない。あくまでも「葉っぱを愛でるための盆栽用」だということはわかった。売られているのだから、そういうことだと思うのだが、この「獅子葉桑」には驚きながら「まだまだ知らないことばっかり」と唸りまくってしまった。

幼いころ祖母と里芋の収穫で畑にいるときに雷さまがきて、となりの桑畑に逃げこみ「クワバラ~クワバラ~」とふたりで言っていた。そのときに見た桑の葉っぱのなかにいちぶ赤みをおびてちぢれている葉っぱを見つけた。祖母は「バイ菌がはいってそれをやっつけるためにこの葉っぱはちぢれてるんだよ」と言っていた。

うちには先住民の山桑の木がある。蝦夷地に住んではじめての春だった。葉っぱのかたちが幼いころ見ていたものとちがっていて、「あなたは、だれ?」とまだ細い枝にふれるたびに尋ねていたが、初夏、朝の見まわりで葉っぱに、まだ小さい真っ黒の山蚕がいるのを見つけ桑の木だとわかった。それから雪が積もる前に、あんまりにも道路際にいるため冬の除雪で折られてしまうかもしれないと何とか移植しようと思ったが、掘りおこすにも掘りおこせない根っこの張りかたをしていて、断念するしかなかった。まだ若木だったので動かせると思ったが、あまかった。除雪車に折られないよう際の部分だけ剪定をした。しかし翌年から桑の木の剪定もエゾシカに任せることにした。私は道路にはみ出そうなところだけ剪定する。1回目の下草刈りがおわるとエゾシカの出番である。エゾシカ剪定は桑の木にも適応している。山蚕がたべはじめるころ、エゾシカも食べはじまる。食べごろを知っている同士の共存だ。山蚕はそれから毎年最高で5匹ほどだが羽化し薄緑色の繭を残していく。

この「獅子葉桑」の葉っぱを見るたびに「いつか路地に根っこをおろそうね」と言っている。盆栽には日本ならではの「盆栽の世界」のよさがある。しかしもともと大きくなる性質の植物ほど、もとのすがたを覆すように。跡形もないように。えっ。盆栽仕立てだったの?と言われるように。大きくなってくれることが楽しみになっている。今は10cmに満たない樹高だが、どこまでのっぽになるだろう。桑の木の枝のしなやかさは風に揺れるためと、イコロの森にいる大きな桑の木を見て思った。








by iroha8788 | 2019-05-16 14:13 | 葉っぱ
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「今年もおいしそうな葉っぱになってきたね」と、種をまいて4年目になるハマナスの葉っぱに言う。「そろそろ、くるわよ。心構えしておこうね」とも。すでにエゾシカがウンチョコボールを落としていっている。3日にいっぺんぐらいの間隔で新鮮なウンチョコボールを見つける。きっとこのハマナスの葉っぱのいちばんおいしい時期を見はからっているはずだ。(5/9 エゾシカ剪定がはじまった)

ここに住みはじめたころは「いやー!やめてー!食べないでー!」と叫んでいたが、今はもう、「どうぞ、どうぞ」までは言えないにしても「おいしかったかな。エゾシカさんよ」と思うようになった。私が、スパースパに研いで殺菌した剪定バサミで剪定するよりもエゾシカが食べたあとのほうが、切り口がきれいに残る確率も高く、枝先から枯れこむこともほとんどない。たとえ枯れこんだとしても、そのすぐ下から伸びる芽々が、ものすごい勢いで伸びてくれる。脇芽の生長がすさまじい。そして芯どめをしたかのように、みんなおなじ草丈で開花する。地際から1~1.5mぐらいのところで、きれいに高さが揃う。エゾシカの身体の大きさを想像していただけるだろうか。この画像の枝の先端が去年の春にエゾシカが食べた跡だ。私の剪定は、カブを更新するために古枝を取り除くくらいで十分だ。とくに野ばらのRosa GlaucaやRosa Canina そしてHRgのTopaz Jewelは、エゾシカに食べられたあとの復活劇を見ているだけでワクワクしながら「もっといけー!のびろー!」と応援してしまう。その応援はいるのか…とも思うが。うちは、これでいく。これでいい。そしてなぜかRosa GallicaとChapeau de Napoléonの葉っぱは食べない。あの青臭さが苦手なんだろう。私もちょっとだけ苦手だ。咲いたときの花いろとかたちそして香りは格別だが。



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帯広にいく道すがら、南富良野の道の駅で見つけた「大玉グースベリー」の苗を、おととし迎えたのだが、まだおチビ苗で実が数個しかならなかった去年の初夏、「はい。参りました」と言わざるをえない「いい色」になったところで小鳥たちがしっかり食べた。今年は、1こでいいから、食べたい。あ。主人の分もだから、2こあればいいか。グースベリーの葉っぱの色とかたちが好きで、翡翠から透明度があがりエメラルドのような緑色の実がカーネリアンのように赤く熟していくところを見ているだけでも楽しい。しかしこの葉っぱをエゾシカは食べない。細くとも鋭く長い棘があるからなのか。ハマナスの棘々は、食べるのに。節分につかうタラの木のものすごい棘がある樹皮まで食べるのに。エゾシカの好みもおもしろい。その代わりに、この実は小鳥たちの好物であることに間ちがいない。

エゾシカもその住んでいるテリトリーによって食べるものを少しずつ変えているのだろう。この春は、はじめて熊笹を食べているエゾシカを見かけた。エゾシカも免疫が下がってしまっているのか。野生動物は直感で食べ物を選んでいる。私たちは野生動物が食べている植物を真似てここまできたということもいえる。「難儀な世の中にしてしまって、ごめんなさい」と車の窓をあけて言った3月下旬だった。

野生動物たちは、毒草のこともよく承知している。水仙もチューリップもコルチカムの葉っぱも食べない。間ちがえるのは、人間だけのようだ。生きることに必死な野生動物たちはさすがである。そして何より、必要以上の無益な殺生はけっしてしない。

「鹿除けネットを張れ」とか電気ビリビリ「デンボク」をたてろとみんなにいわれる。しかし、どれもこれもバカバカしくなってしまった。「デンボク」をたてて線をはりめぐらせるのはいいが、草たちが伸びてくるとその線にあたってショートしてしまうため、定期的に「農薬散布」をしなければならない。そんなことをしたらせっかく5年間農薬や化成肥料を使わずにしてきたことが、たった1回ですべて無駄になってしまう。
ただ、幹の樹皮を一周ぐるっと食べられると木が枯れてしまうので、そこだけは気をつけているが、そのくらいでいいと思っている。

植物たちの葉っぱを見ていると思う。汚すのも壊すのも、もう、十分すぎるほど十分だろうと。
自給率200%の素晴らしい北海道は「農薬散布率世界1位」で、作物のF1品種作付面積もどんどん増えている。
私は蝦夷地が好きだ。



by iroha8788 | 2019-05-08 08:08 | 葉っぱ
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私は「葉っぱ」が好きだ。「葉っぱを見ていろ」と言われたら、言った人が呆れるほどの長い時間でも、ずっと葉っぱを見ている。そんなことを言う人はいないと思うが。さらに葉っぱのまわりにいる虫たちまでも、どうやって葉っぱを食べているのかも見つづける。もちろん、茎のかたちも棘のかたちも花のかたち花びらのかたちや蕊や模様も、見えない根っこも好きだ。そしてかなり素っ頓狂な部分があることも否めない。しかし「天然」と言われると非常に腹がたつ。「天然」という言葉は、私にとってちっとも嬉しい言葉ではない。自然界に対して失礼である。

待っていた雨が降ると、長靴はいて傘さしてここぞとばかりに外へ飛び出す。まっすぐLady’s Mantleの葉っぱを見にいく。葉っぱの表面のあわい産毛が撥水効果をつくり何度見てもあきない。蓮子の葉っぱとはちがう撥水の仕方をしていると考えただけでもおもしろい。これからの時期はこのLady’s Mantleの葉っぱのふちについた朝露の雫を指先にくっつけていただく。「無理だ」と言われれば言われるほど「絶対に、魔女になってやる!」と思っている。


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Geraniumの葉っぱもモハモハになってきた。

PhaeumとHimalayense の2種類の葉っぱの色のちがい、切れ込み具合い、葉脈とどれをとってもうはうはしてしまう。まだやわらかな葉っぱを傷めないようにそっと手のひらでなでた時の感触がたまらない。葉っぱをなでたときにくっついた早春のやさしく青々しい香りもだ。


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Veronica Prostorataもひとまわり株を大きくしてモコモコ葉っぱがでてきている。この子は、去年なですぎてしまったので、今年はまだ、なでない。もう少ししてからにする。ゴマノハグサ科も丈夫なはずなのに、そんなに何度もなでたわけではないのに、思ったよりもセンシティブなのだ。


葉っぱを見るたびに思い出すのは「葉っぱいち枚、完璧につくれない人間」という言葉だ。

植物に対して、自然界に対して、勘ちがいしてはいけない。偉ぶってはいけないと、いつも思わせてくれる。尊敬している職人さんの言葉は、ずっと頭にのこっていて、何度も書きたくなる言葉だ。




by iroha8788 | 2019-05-03 08:55 | 葉っぱ
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誰が何と言おうと、うちでは「ハートちゃん」と呼びつづけもうすぐ半年になる「メセン科ブラウンシア属 碧魚連」がどんどんのびて面白いことになってきた。決して「だらしない」のではない。

今が生育期なので順調に育っているとは思うのだが、のびた茎の部分がどんどん木質化してくるのがわかると、どうしてもピンチして挿し木をしたくなるのを必死にこらえているのも事実である。さらにどうしても毎朝「ピロリロリ〜ン」と名前を呼ぶ前につけくわえて言いながらなでているのも事実である。

最低でも3年は一緒にいないとわからない。
「石の上にも三年」ではないが、植物たちとじっくり向き合うことは、さらなる楽しみが増えていくことは確かだ。人間関係では数人をのぞき、長い沈黙をもたらす結果が多くなるが、植物たちとならば、そうはならない。この差は一体何なのか。それもこれも最期は笑っておわるための私ならではの、私が決めた通過儀礼なのだろう。

「ハートちゃん」ののびた茎をさわるときも、迎えてすぐに折ってしまったことから加減をするようにもなった。まだ一緒にいるようになって半年弱でこの子の性質を把握できているとは言えないが、それでも3月に蕾がうまくあがればまた接し方に確信がくわわり、より「うちの子」になってくると思う。
一緒にいるなかで植物たちの変化が、ますますいとおしい。


3月には「ハートちゃん」に初の蕾があがったと書けますように。



by iroha8788 | 2019-01-05 02:52 | 葉っぱ

ハート目線のメセン

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新月の日に自らの心もリセットするが如く「ハート目線のメセンのハートちゃん」こと「メセン科ブラウンシア属 碧魚連」の植え替えをした。

ホームセンターの多肉コーナーで見つけたときに「ハートちゃん」と呼んでしまったことから迎えて3ヶ月がすぎている。
名前の由来を調べたが、私には「ハートのかたち」にしか見えないこの葉っぱは、誰がなんと言おうとうちでは「ハートちゃん」である。
魚が口をパクパクあけているようなという感覚には、どうしてもなれない。「スイミー」は好きだが、ちがう。だからといって、もっと好きな「平行植物」であるわけもない「ハートちゃん」には一切関係のない想定外で問題外のレオ・レオーニの話だ。もっとも「ハートちゃん」と呼ばれること自体、大迷惑な話かもしれないが、迎えてから3ヶ月をすぎてもずっと呼ばれつづけている今はもう、あきらめてくれているにちがいない。そう思いたい。

秋口からが生長期となる「ハートちゃん」は、ハートの葉っぱの真ん中のくぼみから小さなハートの葉っぱを展開しつつ茎なる部分も伸ばしはじめクリーピング状態になってきた。すでに鉢からはみ出ている部分が伸びたところだ。さて、ここからどこまで伸びるか。そして冬を越えた先に花を見ることができるだろうか。

水が好きな「ハートちゃん」は、水が切れるとすぐに「しわしわハート」になってしまう。「しわしわハート」は、よろしくない。よって「しわしわハート」になったときが水やりのタイミングで非常に分かりやすい子である。

実は迎えてすぐのころ、あまりにもこの葉っぱが可愛くてナデナデしすぎて木質化した茎を根元から1本折ってしまった。ヒィ…と思ったが、すぐに何事もなかったようにプツッと挿しておいたら根づいてしまった。これが多肉ちゃんのたくましくて素晴らしいところだ。よって、より…これ以上は、書くのをやめよう。


おん。


野生動物たちはじめ、植物たちへの溺愛はリセットされるどころか、目を皿のようにしながらハート目線になっていく様はより酷くなるいっぽうだ。しかし、来年からは筋金入りの完璧なる放射性物質入りの培養土がでまわる率がさらにあがる。あらたに植物を迎えることを自粛せざるをえないか。
「イコロの森」のナーサリーでは、道内の用土しか使わないらしく、さすがだと思う。
ほかの花屋さんはじめホームセンターでは、なにか考えているのだろうか。それとも、これまで同様これでもかと「ラウンド アップ」を高々と陳列するように得意の「考えなしの、されるがまま」になるのか。





by iroha8788 | 2018-10-10 10:10 | 葉っぱ

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「みんなちがって、みんないい」という言葉が繰り返し繰り返しながされた記憶があるが今は、どうだろう。
「みんな、右向け右、左向け左」と、知ってか知らずか知らぬ存ぜぬ長いものに巻かれっぱなしが「最高だ」と虚勢をはるように同じ方向を向くよう強制されているようだ。


この「アルブカ」を迎えて4年目になるが、もとは1つの球根だったにもかかわらずバラバラに展開しはじめたことが面白くて仕方ない。迎えたときすでに球根が2つにわかれようとしていたので開花後の植え直しのときに2つにわり、その2つの球根がさらに分球して4つに増えた。
最初の2年間は2月から3月にそろって咲いていたが、去年から見事に個性をだしまくっている。

写真の左から。
1番目は「目が覚めて花を咲かせたくなったので咲きます子さん」
2番目は「花が終わり光合成もたっぷりできて球根が充実したので分球をはじめます子さん」
3番目は「花を咲き終えたので光合成をいっぱいして球根に栄養をためこみます子さん」
そして最後の4番目は「眠る時間ですと寝てしまったお休みします子さん」
という姿だ。

私はただの動植物好きの素人なので「お好きにどうぞ。あなたの好きな生き方で生きてください。そしてその姿を見守らせてください」といつも思っている。

球根植物は、一年草ではない。
一緒くたに一年草扱いをして植栽した挙句に、花が終わったらそれで終わりとゴミ袋(ホクレンの化成肥料が入っていたビニル袋)に入れて捨てている人を見ると「どうか植物たちから復讐されますように」と祈り続ける。

それぞれの植物の特徴を知り覚え日々の試行錯誤を繰り返した先に、やっと植物本来の姿を見せてもらえるからこそ「みんなちがって面白くて最高」と思う。

同じ方向を向かされている群にいると気付いてもなおそこから抜けないでいることに意味はあるんだろうか。


おん。









by iroha8788 | 2018-07-03 07:03 | 葉っぱ | Comments(0)

ヤグルマソウ

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この場所が、気に入りましたか。予想をこえて増えましたね。いい子いい子。

はじめて「十勝・千年の森」で見て以来すっかりトリコになってしまったこの葉っぱとこの色の持ち主は「ヤグルマソウ・チョコレートウィング」ユキノシタ科ヤグルマソウ属の耐寒性多年草で、秋深くなる頃には地上部がすっかり枯れてしまうので、うちの場合は春先に枯れた葉をとりのぞいてしまったときを見ていない限り一気に伸びはじめる植物たち隠れてしまい、しっかりその場所を脳裏に焼き付けておかないと、春先のゆっくり出て来たばかりの新芽を踏ん付ける羽目にになって、こっ酷くグダグダタラタラと説教をされることがあるかもしれない。まぁ、一度踏まれたくらいでへこたれる「ヤグルマソウ」ではないが。

そこら中に広がっている…先住民のフランス菊とウツボグサの間からニョキニョキ出て来た「ヤグルマソウ」を見つけピョンピョンしていた翌朝に霜が降りて最初の3芽がとろけてしまいオーノー!と言った翌々日には違う場所のあちらこちらから出てくる出てくる新芽にその強さと面白さとこの渋〜い葉色にホレボレしながらも、この夏にはもしかしたら株が充実して花が咲いちゃうのかしら?なんて思った日にはもっとピョンピョンしてしまうのだが、まだ咲いてもいないのにどうしてこうも、想像が膨らみすぎるのか自分でもわからない。そばにいる人は、恥ずかしくないのだろうか。いの一番に止めないどころか、そのぴょんぴょんを「白い目」でそばで見ながらも楽しめるから、いいのか。本当にそれでいいんだろうか。かといって、止めようとしても止まるものでもないが。

今年は、花が見れますように。

*「ヤグルマギク」とは、別ものです。

おん。






by iroha8788 | 2018-05-17 16:35 | 葉っぱ | Comments(0)

チコリ

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3月になると有機栽培農家さんが出してくれる「チコリ」(キク科キクニガナ属)を買うアオムシ子は、まわりだけ食べて芯のところが一番甘くて美味しいとわかっていてもグッとこらえて残し水挿しして根が出るのをほぼ1ヶ月が過ぎた今も待っている。

去年、試しにやってみたらカルスができてちゃんと根が出たのを覚えたものだから、この春は買ってきて食べるたんびに増えていく株数で、エゾシカっちょに食べられても復活するのもわかりますます嬉しくなってしまい、また買いに行くのでもっと増える予定だ。去年開花したのをそのまま残しタネをばら蒔きしたうえに、また株数も増やすという…。
「どれだけチコリが好きなのよ!」と言われそうだ。ぬふっ。

シンプルに塩コショウと薄くスライスしたパルミジャーノを数枚のせて最後にオリーブオイルをかけて食べるのが好きだが、本当は主人に内緒で台所の隅に隠れて何もつけずに、パリパリムシャムシャ食べるのが一番美味しいのに音ですぐにバレてしまい「いやし子アオムシ子ー!」と言われるのであまりよろしくない。でも新鮮なものは、ササッと洗って何もつけずにそのままを味わうのが一番と思っている。「チコリ」も私には贅沢な「節のもの」になった。
何より初夏から咲きはじまる「午前中だけの儚いブルーの花」も大好きで、コガネムシにちょっと譲ってもらいながらスリスリしている。そしてもっともっと株が増えたら根を収穫し「チコリコーヒー」を作る予定だ。
旭川へ行く道すがら道路の中央分離帯のところにまで出て増えて野生化して咲いている「チコリ」の強靭さを見つけた日にはとにかく自分でも試さないわけにはいかない♪
今日もこの元気な葉っぱを見てはなでなでしながら「早く根っこが出ますように」と言いつづけている。



午前中、白鳥の声がするので慌てて外へ出ると、2つに分かれて飛んでいた白鳥たちがひとつに集まりV字になって私の頭上数メートル上を飛んでいった。
主人もちょうどいたので二人で見上げながらあっという間に遠ざかる白鳥を見送った。
白鳥の羽音をこんなに近くで聞いたのは初めてで、その迫力に一瞬何も言葉が浮かばなかったが、「あなたたちの着地の姿を笑ってごめんなさい。」とどんどん小さくなって行く白鳥の群れに謝り、またここの冬の始まりの日にも会えますようにと願い続けた。ここでの「春の使者」は「冬の使者」でもあり、あの白鳥の羽音は一生忘れられそうになく、また聞きたいと思ってしまう。
福島にいた時よりももっと間近で聞けたことに感謝しよう。

(“バードフル”云々なんて、ヒ素の何倍もの致死率の止まることのない致死量が飛び続ける放射性物質と比べられないし、そもそも比べるものでもない)


おん。







by iroha8788 | 2018-04-04 17:17 | 葉っぱ | Comments(0)

ローズマリーとアルブカ

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また吹雪くのかな?という空色と風の強さになってきたが、なるようにしかならない。
ただ「屋根だけは飛ばないでください!」ということだけだが、お隣さんちなどに迷惑がかからなければそれでいい。飛んだとしても大工さんに頼めば手配してくれるようにお願いしてある。


迷惑をかけない。

そんなことは所詮、無理だ。

動植物を観察していれば、すぐに分かる。

自分で実感して納得したならば、自分の心に従い、見つめ直しながら、

素直に頼み素直にお願いし素直に言えばいい。

この国は、そういう生き物としての根源を潰してきた。

一度でも、間違ったりしたなら、どこまでも揚げ足を取り立ち上がれないほど叩きのめす。

腐っているのは自分だとも知らずに、さらに腐敗していくのは自分だとも知らずに。

浅はかな薄っぺらな姿が見えていることを知る由もない。


そんなことを考えながらもうひとつのローズマリーのことを迎えてからずっと調べていた。
このローズマリー(左側)はもしかすると「ダンシング・ウォーター」という品種かもしれないということが今日わかった。
たくさん花が咲いた後その先端から新芽が伸びてきてちょっと驚いたがそういう性質の子がいてもおかしくはない。何れにしても元気だったらなんでもいい!とにかく嬉しい!そこに行き着くのだが。蕾が上がった頃はその枝ぶりが「龍の姿」のように見えて誇らしく思っていたが、今は「暴れん坊すぎていったいどう枝が伸びるのか全く予測できない」そんなところが面白くてたまらなく誇らしい。植物たちが縦横無尽に自由気ままに伸びて行くのを見るのが何より楽しい。この春は、鉢を一回り大きくしてあげよう。そしたらもっと伸び伸びと枝垂れて大胆に咲くクリーピングらしい姿が見れるかもしれない。

その隣にいる(右側)のは「アルブカ・フリズルシズル・スピラリス」だ。うちに来て3年で4株に増えたうちの3株がなぜか秋口に開花してしまったが、うんともすんとも言わずに休眠していた1株が目を覚ましてかれこれ1ヶ月近く過ぎただろうか。本来の開花時期通り株の真ん中に蕾が上がってきている一番背高のっぽになってクルクルしている葉っぱちゃんだ。この「アルブカ」も、今年の花の後には植え替えをしてあげよう。

頭の中は「植え付け、植え替え、鉢増し、種まき、草刈り・・・」と植物たちのことで溢れてきている。そして「十勝・千年の森」「イコロの森」「岩見沢バラ公園」のことでも。何より雪が解けたら旭川の花屋さんと本屋さん巡りも待っている。

本当は函館に行きたいハーブ屋さんがあるのだが、遠くて行けないというか一人で日帰りするにはちょっと無理がある。
一人でコツコツと勉強をつづけているが、専門家の方に集中的に教わりたくなってしまっていて、ここには植物のことハーブのことをたくさん話せる人がいないのが、ちょっと残念だ。でもまぁ、それはそれ、これはこれ。海は好きだが、やはりあまり近づけないのだから、どうしようもない。一人で海側へ近づくことはない。

まだ積雪は2m近くあるが、先日の雨で地温が上がったのか・・・雪と地面の間が空洞になり始めているのを見つけた。その空洞に手を入れるとほんのりと暖かく雪の重さに耐えている植物たちも少しずつ目覚めてきていると思うとワクワクが止まらない。

巨大田んぼや巨大畑にはいよいよ融雪剤が撒かれ農家さんたちが動き始めた。
こうなると真っ白な雪原は一変し融雪剤の色に染まる。それもここに住むということだ。
うちは融雪剤も籾殻くん炭も撒かない・・・さてこの冬の根雪がぜんぶ解けるまでどのくらいかかるだろう。それもこれもお天道様次第だ。

融雪剤が撒かれると見る方向を変え、その瞬間から山々やうちの葉むら草むらなんちゃってガーデンの植物たちの芽吹きが見たくてウズウズが止まらなくなる。



by iroha8788 | 2018-03-08 13:18 | 葉っぱ | Comments(0)

緑の塔

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どうして、そんなにカッコイイのよ。

ベンケイソウ科クラッスラ属「茜の塔」


日の出が近づくとカーテンを開けながら植物たちに挨拶をするのが日課で、ひとつずつ葉っぱをなでながらこのコの順番になるとそう言ってしまうのが、この仏塔型の多肉ちゃんで、その中に紅葉する種類があってこのコもそのひとつだ。
秋口から紅葉して赤くなる葉っぱも好きだが、私は今のこの色の方が好きで、この葉っぱの形状と、その名にある通り「塔」になっていく形がとても気に入っている。

真似できないでしょ。この形。ツクレナイデショ。この形。完璧に!

最近ではたくさんの種類をよく見かけるようになった多肉ちゃんたちだが、これもまた例によっての流行り廃りで店頭に並んだり並ばなくなったりするんだろう。20年前は「金の成る木」という品種が多く、とあるお宅では、出たばかりの小さな芽の上に五円玉をはさみこませて本当の「金の成る木」にしているのを見た時にはびっくりしたが。
もし売られなくなったとしても幸いなことに、多肉ちゃんの特徴が「とにかく増える」ことであるからして日当たりと水やりさえしっかりできていればこれから何十年も私が終わらせない限り一緒にいられる。本当にたくましくて可愛くてカッコイイ種類だ。現に、この大きさ1cmくらいの三角形の葉っぱを一枚とって、土の上に置いておくだけで、その小さな葉っぱの水分と養分を使って発根してくるから、もの凄い生命力だ。
この「緑の塔」もとい「茜の塔」は、どうしてこういう形の葉っぱになったのかを考えただけでジーンとしてしまう遺伝子だ。そしてこの進化は、何年かかってここまで来たんだろう。








by iroha8788 | 2018-02-16 08:00 | 葉っぱ | Comments(0)

動植物たちとの日々


by 葉花