カテゴリ:おでかけ( 23 )

柏の木

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留萌の黄金岬で「ハマナス」と「ハマベンケイソウ」に再会したあと、留萌港を見下ろせる高台へと入る裏道を通ると小さな「留萌湊神社」があった。なぜかお参りしなければと思い車を降りて鳥居の前で一礼をし、足元の草たちの中に葉を埋もれさせながら小さくもたくさんの白い花をくもり空に向かって咲かせているデージーにも挨拶をして参道を歩く。
ただいつものように柏手を打つ。
「蝦夷地に住まわせてもらっています。今日は、黄金岬の「ハマナス」と「ハマベンケイソウ」に再会できました。ありがとうございました。」とお礼をいう。
そして留萌港を見ようと社の左わきに目をやると一瞬動けなくなってしまった。

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近づいていくと『樹齢100年「柏の木」』と立て札に書いてある。
葉を見ると確かに「柏餅の葉っぱ」だ。樹皮や力強い枝ぶりを見上げ「あなたは、ここで何を見てきたの?「北海道」になってから50年めに植えられたであろう柏さん。あなたの100年は、どんな100年だったの?」と張りめぐらされた柵から遠くて触れない幹や葉っぱに言い続けた。
風で葉が微かにかすれる音を聴くたび、海での安全を願うために建てられた神社の象徴ともいえる柏の木が植えられたかと思うと、その当時の方たちの気持ちを一身に受けとめているのだろうか。
柏の葉っぱは秋に枯れても春の芽吹きまでその葉は落ちず「途切れることなく代が続く」といわれ縁起をかつぐ樹木のひとつである。そして塩害に耐えることからお社を守ることも考えられてのことなのだろうか。

何百年何千年と生きている樹からすれば樹齢が100年と聞くと大したことがないように思えるかもしれない。しかし私たち人間は、その100年さえ生きているかわからないのが事実で、ほぼ生きていないだろう。まして、この世の中、空も大地も川も海も何もかも破壊しまくり汚すことをやめないようにするための策略にまんまとはまりまくり知らんぷりの一点張り。自業自得だ。


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留萌港を見下ろす高台にある湊神社の奥にいる「樹齢100年の柏の木」にまた会いたい。



おん。






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by iroha8788 | 2018-06-27 06:27 | おでかけ | Comments(0)

再会

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留萌にいるハマナスとハマベンケイソウに会いに行ってきた。


ここは黄金岬。ここへ来る人は海に向かって歩いていくが私はその方向が確実に海へ近づいているものの「ハマナス」と「ハマベンケイソウ」がいるところへ進む。その行動を後ろから見て主人が「始まったな」といつものように笑う。そして私をおいて主人はどんどん岩場を進み先端まで行く。それを確認して私は海に背を向けハマナスを見つけてごにょごにょ話しかけている。新潟でも真逆の行動をしていたことを思い出す。

ここのハマナスは園芸品種であるが、毎冬暴風雪を耐えているというだけで会いにいく価値はある。この花の香りや色はきっと厳しい潮風がつくってくれているのかもしれない。そう思うとより花に鼻をくっつけてしまう。とっても甘くて濃厚な香りだ。実は冬の時期もこのハマナスたちを見に行きたいが、うちも留萌も雪に閉じこめられてしまい外に出られない日がある。この子たちの様子を見に出かけたとして帰ることができないのではお話にならない。それでもいつか一度でも見に行ってみたい。主人が仕事をリタイヤする日を待とう。あと何年だろう…早くリタイヤしてくれないかな。
こういうとき、海外の方のお休みが1ヶ月とか2ヶ月とか多い方だと3ヶ月取れるというのを聞くと、日本は、なんなのかと思う。これだけいろんな技術が発達しているというのに、どうしてこんなにも休みが少ないのか。詐欺師め。この国の「長」からして詐欺師ばかりだ。そう思いながらもハマナスへ心を戻す。


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きっとこの冬で枯れこんだ枝をすべて取りのぞいたんだろう。こんなにもたくさんの生き生きとした立派なシュートがモコモコと出まくっている。こういう元気な葉っぱたちを見ただけで幸せだ。人が少ないのをいいことに(さすがに叫ぶのは堪えたが)とにかく腰が痛くなっても我慢して葉っぱたちをナデナデしまくってきた。
うちのタネを蒔いて3年経ち今年咲きはじめた「ハマナスかもしれない子」とは明らかに葉の特徴がちがう。何より葉の色からしてちがっている。面白いな…。この個性の塊たち。


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この日は最高気温が17度までしか上がらず小雨が降っていて海も少し荒れていて近づきたくはないが、それでもハマナスを見たいので我慢する。いっときだもの。ずーっとではないもの。そう思いながらこの株の蕾と葉っぱの均整がとれているのを見つけられただけでもよかったと思う。


ハマナスを見ながら潮が引いた浅瀬に父子の姿が何組かあった。
男の子は、浅瀬の岩場のところで何かを見つけてはお父さんに見せて黄色のプラスチックのバケツに入れている。こういう経験はずっと大人になってもあの男の子の思い出として残っていくんだろうな…。お父さんも男の子も本当にニコニコしていてチラ見している私まで「よかったね。何より何よりね。」と思ってしまう。


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ハマベンケイソウ
ムラサキ科ハマベンケイソウ属

三陸などにはあるようだが私はここではじめて見つけた。
ハマナスを追いかけてぐるぐる散策していたらいたのだが去年はすでに終わりぎわでここまでたくさんの花は見ることができなかった。今年はちょうど見頃の時期に行けた。しかし今度は、道民さんたちからしたら見慣れている草花のひとつなのだろう。かなり抜かれていて株が少なくベンチの下にひっそりと咲いていた。残念だ。
それにしても海風で小さな花を撮るのがより焦れったいうえに難しい。今年こそと花の香りをクンクンしようにも匂いが飛んで潮風の匂いしかしない…。来年こそハマベンケイソウの小さな花の香りをクンクンできますように。
時折吹く風は冷たかったけれどそれでも今年もこの黄金岬の片隅に咲いているハマナスとハマベンケイソウを見ることができた。

また来年も必ず行こう。



おん。






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by iroha8788 | 2018-06-25 06:25 | おでかけ | Comments(0)

千年の森へ

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気温16度の森の中は「春蝉」の声とともに春の植物たちがあふれていた。


早朝5時半には庭をひとまわりしひととおり朝のあいさつをすませ「お留守番頼みますね」とお断りの声をかけたあと出かけた。
R38をひたすら南下する道沿いの山々の緑は、目に青葉、山ウグイス(ホトトギス)、初鰹(鰹はもう食べることはできない。) 自然の鳥たちの声を聴きながらも、途中の道沿いで覚えているお気に入りの場所の植物たちの観察をしながら進んで行くその景色は自分でも呆れるというか笑ってしまうが何回見ても「蝦夷地に住んでよかった」と毎回言ってしまう。ここは季節がはっきり分かれていて、ぼーっとしている暇を与えない。山々を眺めのんびりすることはあっても、常に何かを感じさせ考えさえ、常にまだ知らなかったと「無知」であったことを再確認させてくれる。

そして9時半。開園時間に到着したが、すでに観光バス2台がとまっていて台湾からのツアー客が並んでいた。こういう感覚はお遍路の時の「御朱印待ち」が蘇る。15年前のお遍路の時からもずっと思っていた。海外の方のマナーを云々言うが日本人のツアーの団体軍団の方がよほど始末が悪い。それはもともと日本人が旅行に行って、そこでしてきたことを、されているだけなのではないのかと。

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森の中はすべての植物たちが輝いている。「シラネアオイ」「ヒトリシズカ」「オオサクラソウ」「バイカラマツソウ」「マムシソウ」グングン伸びる「トリカブト(オオトリカブトではない)」もうすぐ咲きそうな「バイケイソウ」「チゴユリ」名残りの「ニリンソウ」「エイレンソウ」…もう書いても書いてもきりがないほどの春の花たちや一番大好きな「クサソテツ」こと、コゴミちゃんたちの群生…草丈が1mをこえているのではないの?という立派な姿にもう…いつものピョンピョン状態になってしまう。

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水芭蕉の葉っぱをこんなに堪能できたのははじめてだ。

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とにかくあっちもこっちも目移りしすぎて落ち着く暇がない。立ち止まり屈みこんでは観察と言う名の「溺愛」をして首が痛くなるまで見入っては立ち上がり、木々たちの葉が風で揺らぎ溢れる光を見上げ深呼吸しては大きな木…ヤチダモちゃん、オヒョウ、どんぐり、カエデ、オニグルミ、ハルニレと、次々にあいさつをして行く。台湾のツアーの方々と時間をずらし貸切状態の森の中でバードコールを鳴らしていたが、この日は「春蝉」の大合唱でかき消されてしまうほどで、時折「あ!」と私の声に驚いてシーンとなるとウグイスが上手に囀っているのがやっとわかるほどだった。誰もいないのをいいことに、大きさ3cmくらいの小さな春蝉の可愛い姿を見つけては「おはよう!おチビのバルタン星人♪」と言いながらもずっと歌を歌っていた。

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おったまじゃーくしー!ウゴウゴいっぱいでなんて可愛い♪
何年ぶりだろう。熱海の「アカオ・ハーブ&ローズガーデン」以来だから、もう10年くらいだろうか。あそこは「ヒキガエルっちょ」のおたまじゃくしで、おっきい子たちだった。この子たちは「ニホンアマガエルっちょ」それとも「エゾアカガエルっちょ」だろうか。 ここはフォレストガーデンに行く手前の池で、帰り際に見つけてしばらく固まってしまった。同じく浅瀬の水温が高いところにはアメンボウもたくさんいた。

十勝・千年の森は、本当に素晴らしい。イコロの森と同じくらい大好きだ。
大満足のひとときは、ここのスタッフになりたいほどで、本当は1週間くらいお泊まりして毎日通い毎日森の中を観察したいくらいで、帰って来たばかりだがまた行きたくてウズウズしている。
森の散策は、最高である。

そして頭の中に、見たことわかったことを叩き込んでまた日常がはじまる。
まずはうちの葉むら草むらなんちゃってガーデンで伸びに伸びまくっている草刈りをはじめた。お断りをしながら草を刈ったあとの香りがたまらない。

おん。









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by iroha8788 | 2018-05-28 05:25 | おでかけ | Comments(0)
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ほんっとに、安上がりな人だね。そういうの見つけただけで楽しんじゃうんだもんね。

ふん♪安上がりのどこが悪いの?喜んでラッキーと思ってるくせに♪
でもね、ちょっと考えてみてよ。何でもかんでも「税金」という名前をつけては、日本に「原発を持って来た張本人」の名残りのフンダクル団連の政治家・官僚・木っ端役人ばっかりでフンダクッタお金を、ポンコツ・ヘリコプターから無駄なモノばかり高額で買わされてるのに、やれ外遊だ、やれ寄付だとか言っちゃって何やっているのよ。まったく。
死んだふりしちゃう野生動物や小動物たちの方がとっても賢くて可愛いわ。
何の役にも立たないただの見栄っ張り症候群スカポンタンのアンポンタン、オタンコナスのスットコドッコイも甚だしい脳足りんで「文章を作ってもらっている」のにもかかわらず間違えて笑われて「文章を作っている方もズッコケル」ほどで、それが「ツクルヒトの真の狙い」なのかと思いながらも、すかさず順番待ちのスピン・スキャンダル報道「3S政策」を紛れ込ませてもはや「ニュース」の意味も皆無な上に挙げ句の果ては「相手にされない外交」をしてきてもすっかりいつものように知らぬ存ぜぬを貫くよう飼いならされたグルット団に任せてどこ吹く風のごとくゴルフ三昧の連休明けは「気を引き締める」って、脳を仕事バージョンにするための締めるネジすらどっかに落っことしてきちゃったみたいよ。それとも何かに取り憑かれて、ネジを外されちゃったのかしら。

あなたの職人魂であの人の頭に永久的に抜けないようなネジを締めて1ミリの遊びも許さないようにきっちり赤い強濃度のネジロック剤を塗って赤い錆止め剤も塗って最後にどす黒いペンキと黄色のペンキで塗り固めて「keep out」のテープを貼ってほしいわ。
その方がスッキリきれいサッパリするわ。

でも、ちょっと待って。図々しくて頓珍漢にもほどがありすぎるのも大概にしてほしいのに「嘘も100回言ったら真実になる」と思って繰り返せるその精神とやらをツクリダシテイル脳みそを鉈でかち割って見てみたいものよ。その前に絶望に打ちのめされて二度と立ち上がれない瞬間も見たいわ。
憎んでるんじゃないのよ。憎むなんてもったいない。
…世界を見ればきりがない。
それは調べればすぐにわかる事よ。いいえ、調べなくても震災後の日本を見ていればすぐにわかる話よ。
寄付してもいつまでも豊かにならない国があるのはなぜ?
私たちが寄付したお金や税金はどこに消えているの?っていう話よ。
どうして仮設住宅まで「差」ができるの?あの「差」は何よ。
何でいつまでも仮設住宅から出られないの?
どこにどう使われているかも調べないで恥ずかしげもなくゴニョゴニョ言わないでほしいと思わない?
自分が寄付したお金がどこをどう通ってどう流れているかもわからずに偉そうにしかも、誇らしげに「俺は寄付してやったんだ!」と言わんばかりのイヤラシイ顔をしちゃってからに「寄付したから、偉いんだ!」と、何を洗脳されているのか。まるで「ボランティア」を勘違いしている人々と同じようで、笑ってしまう。「ボランティア精神」…全員が全員ではないにしても、どれほどそれを「食い物」にしている輩が多いのかも知らないんだろうなぁ。
あのヒトたちはしっかりそのことも踏まえてフンダクルのよ。
何でこんなに税金払わなくちゃいけないのよ。
そして、本当に弱い人、本当に困っている人たちほど助けない。
だから、私は自分に見合ったお金の使い方をすればいいと思う。勘違いせずにね。
自分が本当に欲しいものだけを買わせていただく。もしくは「何を買わないか」ということだけでしょ。

もう、頭がクルクルしすぎて蕩けちゃう。ふぅ…。


…はいはい。事実からの想像・妄想は、それくらいにね。


そうね。それより見てよ♪
落ち葉を突き破って突き出てきたこの「スイセンの葉っぱちゃん」。
ひと冬を守ってもらったのに突き破って出てくるって、面白いでしょ?すごいでしょ?
「出る杭は打たれる」っていうことは自然界ではないみたいね。
「出る杭は打たれない」どころか「打たない」。そしてその出る杭をまた守ろうとする落ち葉は循環の一部となって破られて砕かれて数え切れないほどたくさんの微生物や小動物たちに分解されて栄養になって最後まで役目を果たし続ける。「命の循環のひとつ」って思ったら素敵なシーンを見てると思わない?

…はいはい。
分かったよ。分かってるよ。
もう疲れたよ。
◯◯◯のチョコレートが食べたいなあ・・・。

ダメ!
あのチョコレートは、あのバカ夫婦の嫁の実家よ!
不買するって決めたんだから違うところのチョコレートにしてください。
それから少なくともオーガニックでフェアトレードのものをお願いします。

はいはい。そうだね。
いろんな方法がある。ひとつじゃないもんね。
俺だって、山を見てればわかる。
なんでも、なあなあにしてきたから、こんな日本になっちゃったんだもんね。
すぐ忘れるしね。
よく忘れられるよなあ。こんなにバカにされ続けてるのにね。
何で、あんなに簡単に忘れるんだろうね。


そんな会話をしながら私がバードコールを鳴らしても小鳥たちはひとつも返事をしてくれるはずはない。それは事実からはじまった想像が暴走してここに書けないことまで妄想してしまったことがバレているにちがいないからで、途中から主人が代わって鳴らしはじめると待ってましたとばかりに返事をしてくれた。自然界に私の勝手な思いなど必要はないし、そんな思いをぶつけられる筋合いもないのだから。

そんなとある森の中でのひとときでした。


おん。








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by iroha8788 | 2018-05-08 08:05 | おでかけ | Comments(0)

カタクリの坂

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私たちが出発する時間は、いつもみんなが起きだす前か、ちょっと早めに。

それでも今年の「シーズン」がはじまったのを観光バスとレンタカー、バイク、キャンピングカーの多さで確認しつつ、主要道路からいっぽん又いっぽんと裏道へ入っていく。

その道路わきにポツンポツンと何年かかって咲けるようになったのかを想像しながら「カタクリ」の紫色の花をふた株見つけると「あの坂に、行く?」という主人の声に「もちろん!」と返事をした。

そこは大きな畑と畑の間で、農繁期の今でもほぼ誰も通らないような坂道で蝦夷地では急な方だ。
蝦夷地の「峠」は内地に比べるととても緩やかでそれは私の中では一番印象に残っている愛媛と高知の間の「寒風山」の峠の10分の1くらいで耳が「キーン」とならない。ここに住んではじめて耳が「キーン」となったのは帯広に行く時の「狩勝峠」くらいしか行けてないのだが。

そんな緩やかな坂道の道路の斜面一面に「カタクリ」が群生している場所がある。

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はじめて見つけたのはここに住んで2年目の春だった。見つけた瞬間にここは「カタクリの坂」と勝手に名付けて今に至る。
早朝の落葉樹の森の斜面には花びらをひらきはじめたばかりの「カタクリ」と「エゾエンゴサク」と「フクジュソウ(ここのフクジュソウも“北見フクジュソウ”ではなかった)」が共存していてそこは、「山“盗り”」しようにも斜面がきつく野生動物以外は一度転がったら登ってこれないようなふかふかで滑る斜面だからこそ守られてきた。そういう場所を見つけるのが面白くて仕方ない。

今年も、また会えました。おめでとう。ありがとう。
ちょっとずつしか増えることができない植物たちが群生しているのを見つけられた幸せが、来年も続きますように。



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そして帰り道では、またはじめましての「キアマナ」を見つけた。
この子も植物図鑑で見て以来ずっと会える日を楽しみにしていた植物のひとつで、いつも通るところで見つけたことに嬉しさが倍増してしまった。
それぞれの時間で展開する「植物時間」に合わせるのは私たちの方で、それを覆した時、魅力も何もかも半減するのは当たり前だとわかってしまうと、この子の時期にぴったり合ったことがより喜びへと誘わせてくれる。
何にでも「旬」があるというのはそういうことなんだろう。
この「キアマナ」のいる場所はもう、インプットできた。また新たな「楽しみの場所」が増えたことに感謝だ。


おん。






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by iroha8788 | 2018-05-02 10:20 | おでかけ | Comments(0)

麓郷へ

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(エゾエンゴサクとナニワズ)


この時期というか年中かもしれないが、車に乗っているとすかさず私は動体視力を鍛えるが如く目を皿のようにしながら道路脇の土手などをチェックしまくっている。
それは、ゆっくりドライブを楽しむなんてアリエナイ!モッタイナイ!と、キョロキョロしてしまうので強制的に助手席に座ることが条件となっているが。
主人が車の運転が好きな人で本当によかった。さもなければとうの昔に三行半を叩きつけられていたと思われる。

エゾエンゴサクは、いたるところに自生していてその多さは開拓される前を想像できてしまうほどだ。
そして「ナニワズ」だ。
この地では北限をこえているため「沈丁花」は越冬できないが、その代わりのようにこの「ナニワズ」が咲くのだが、はじめて見つけたときは「黄色の沈丁花?えー!珍しい♪草丈も低くてなんて可愛い♪」とその花を観察して思ったが、それもそのはずで「ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属」で仲間だった。しかも庭にあるのではなく、この写真のようにエゾエンゴサクと同じ環境の「土手」に当たり前のように生えていたりする。植物図鑑を眺めているだけでは「覚えても学んだことにはならない」…ふと、ネイティブ・アメリカンの人々の言葉が頭に浮かんだ。

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半日陰になる湿地のところでは「ミズバショウ」も咲いている。
元福島県民としては「ミズバショウ」というと「遥かな尾瀬」を思い出すが、尾瀬に行かなくとも見つけられる。何より「東電」のモチモノとなっている尾瀬は、動植物たちに責任はないが、もう未練も何もなく、まして高線量の地には行きたいとも思わない。
「東電」のやっていることは、絶対に許さない。「絶対はない」というが、このことに関しては言い切れる。「東電」そしてそのグルのヒトデナシたちも、絶対許さない。
しかし今の私には「蝦夷地」の道路の傍でひっそりと咲いているミズバショウで十分に満足できる。この地には、そういう場所があり、思い切り深呼吸ができる場所でもある。


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葉っぱが好き好き大好きな私には欠かせない「バイケイソウ」も見つけた。
もうこの葉っぱの美しさは葉脈からしてウットリで、初めて「十勝・千年の森」で見て以来トリコになってしまった。うちにもいつか…と思っているが、まだこの子たちが生きる環境はできていない。必ずこの子たちが生きる環境を作る、というより「取り戻す」と思っている。
(隣にラワンブキが咲いているが、ラワンブキは「土地も環境も選ばない」ほど強靭で農薬まみれのところでも毎年出てくる「スギナっちょ」に匹敵する強さで、日陰の湿地帯でない限り、道路の補正工事をしたばかりのところで少しでも地下茎が残っていれば一番最初に出てくる)

麓郷にも大好きな場所ができた。

それは観光バスでスルーしてしまう場所で、地元の人は知っていても、何とも思わないため「余計なことをされなくて済む場所」で、私には宝物たちがたくさん住む場所だ。
面白くて楽しくて興味津々で五感をフルに使いまくれる場所を見つけるのは最高である。

おん。








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by iroha8788 | 2018-04-23 04:23 | おでかけ | Comments(0)

エゾエンゴサクの森にて


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幸せは、感じるものなのですね。

「長く厳しい冬」とよく聞くが、この冬ほどこの言葉の意味を実感した冬はない。
広い道内では、このくらいで?と言われることを承知としてもだ。
しかし私にはこの冬を越えられた喜びを体全体で味わい五感をフルに使うことができるこの場所を見つけられたことだけで、とても幸せを感じることができる。

一面に広がる「エゾエンゴサクの花」…。









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by iroha8788 | 2018-04-21 17:10 | おでかけ | Comments(2)

イコロの森

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数日前、今年も「イコロの森」さんからお知らせが届いた。
待ってましたー!と言ってしまう春のはじめの「大好きな森」からのお知らせだ。
そして『どこよりもゆっくりな歩みかもしれない。けれど確実に育っていく植物たち。それを見続ける楽しみ。』とポストカードに書かれている工藤氏の言葉は、わたしがここに住んでから思っている言葉そのもので、ますますイコロさんが大好きになってしまった。
今年10年目を迎えるという・・・なんて素晴らしい!
わたしもうちの葉むら草むらなんちゃってガーデンを見続けて10年後を目指そうとまた新たに思う。(ただし見せるための庭ではないし、ひとりでコツコツ続けて行くのでもっと長くかかりそうだがそれで、いい。動植物に優ることも勝ってきたことも1つもなく、その感覚は、もはや愚の骨頂にしか思えない。)
この「イコロ」とは、アイヌ語で「宝物」という意味なのだが、その名の通りわたしには大好きな植物たちがそろっている「宝物の森」だ。
それはそれはもう夢心地の世界が広がっている。時折、シナプスが瞬停するほど耳をつんざく音がするが、それはイコロさんのせいではない。
下を見て何かを見つけては立ち止まり首が痛くなると上を見上げる…主人には「また、はじまった」と思いながらも黙って付き合っていただいているが。
さらにバードコールを持参して行くわたしは、森の中でバードコールを鳴らしまくる。
たまりません♪
ここから数時間離れている場所ですぐに行けないもどかしさは、もっと近かったらなぁ・・・と言っても仕方ないことのブツブツボソボソ独り言が出てしまうが、目を閉じると森の道が頭に浮かんで来るだけで幸せだ。これからうちの庭いじりをするにあたって参考になることもたくさん見つけられる。

そして森を十二分に楽しんだ帰り際には、もちろん!冬中考えていた苗を探しはじめる。
イコロさんでは輸入の苗だけでなく、皆さんが作った立派な苗も売っている。
しっかり森を堪能させていただいた後でたくさん並ぶ苗売り場では、それぞれの耐寒ゾーンもしっかり書いてありただでさえ目移りしてしまうだけでなく、ウットリのため息が出てしまうが、ずっと迎えたかった苗を見つけたらすぐにレジに向かってしまうのはいつものことだ。

ああああぁ~♪ワクワク時間がますますはじまってきた。
蝦夷地は、ますます「春」になってきた♪

明日から開園のイコロさんだが、今年は、どんな発見があるだろう♪
早くお邪魔させていただきたいよー。




今日、我が家の敷地内の雪が、すべて解けました。
来週は部屋で越冬した植物たちも順番に外へ出してあげられる。
新鮮な空気をた~んとめしあがれ♪の季節です。


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by iroha8788 | 2018-04-20 13:00 | おでかけ | Comments(0)

感謝の時間。

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先日「プライベート・ライブラリー」という倉本聰氏の講演会へ行ってきた。
会場に着き席に座ると主人と私以外は50~60歳代以上の方が占める座席を見渡す。
まぁ、私同様主人も変わっているのでこういうことはよくあるが、前回「屋根」という舞台を観てからだから約2年ぶりだろうか。
放映されるドラマが著作権に引っかかるということで予約さえ入れれば入場が無料だった。

それにしても倉本聰氏。
お年はあえて書かないが相変わらず舞台に登場するとタバコの匂いとあれは何の香水?の香りだろうか。それがいっぺんに香ってきた。そして倉本氏のその記憶力もさすがだとそのことがとても印象に残った。
ダンディな“おじぃちゃま”と思ってしまっても言ってはいけないのだろうが、どんなに偉くても同じ人間ということで書かせていただく。

倉本氏の話は、私が生まれた1970年代に作られた1時間ドラマを2本観てからとなった。
そのドラマのタイトルは「風船・・・・・・?」(いかん、忘れてしまった。驚‼︎)そして「あぁ、新世界」だった。
ひとつ目の「風船・・・・・」は、札幌オリンピックの時に作られたらしく高度経済成長期という「乗せられまくって全速力で走り続けた時代」を描いていた。そのオリンピック開会式の出し物にたくさんの風船をいかにうまく綺麗に飛ばすことができるかというお役所の「風船係」の人の話で、その様子はまるで今の今!バレにバレている赤字になるだけだからとどんどんオリンピックを辞退している国がたくさんあるというのに日本のお役人や一部の人達だけはおいしい思いができると私たちからますます税金をふんだくって緑を破壊しまくって頑張っているそのもので、しかもそこに「国家ナンチャラ」という言葉が出てきた時にはもう、呆気にとられてしまった。主人も私も、微動だりせずただスクリーンを凝視していた。
ふたつ目の「あぁ、新世界」は、倉本氏がNHKと喧嘩をし奥様を置いて一人札幌へ来て毎晩のようにススキノだーのどこかだーのと飲み歩いて脚本家をやめてトラック運転手になろうと思っていた頃、東京の奥様から電話がかかってきて「あなた、もう貯金が7万円しかありません!」と言われたのをきっかけに奥様への懺悔の気持ちも兼ねて描いたドラマだという。このタイトルの通りドボルザークの“新世界”の曲に合わせて話は進んでいき、ある交響楽団でシンバルを一度だけ叩くかどうかの夫と夫婦間その取り巻きの話で最後には哀れみと人間の本質がよく出ていた。しかしこれまた一向に、周りの方々は笑っているのに私たち夫婦はお尻が痛くなったので少しもぞもぞするくらいで笑えないという。これが、年齢の差?もしくは年代の差?というには、このドラマがテレビで放映された頃オンタイムで見ていた方々はどう感じたのだろう。私は今回初めて観せていただいたがなんとも理解不能というか今では常識の「洗脳」というのは現在進行形でずっと続いているのだなとつくづく思った時間だった。

14時に始まった講演会が終わったのは17時で、おまけに霙まじりのちょっとした吹雪で外はすっかり日が短くなり真っ暗の帰りの車の中で二人同時に出てきた言葉は「あの時代から人を貶めたりコケにして笑わせたりするのって当たり前だったんだねー。やっぱり。」ということだった。そして最後には「なぁーんだ、日本人てちっとも変わらないんだねー。やっぱり。」ということに落ち着いた。

倉本氏が言っていたことで特に印象に残った言葉は「新入社員で会社に入って、先輩が言っていることなどに今は逆らえないが10年後20年後には必ず言えるようになるんだとその言葉を箱にしまい鍵をかけておくのだけど、いざ10年後20年後になった時、その箱の鍵をなくしてしまった挙句にその箱自体もどこにあるのかわらかなくなって忘れてしまっているという、そういうのって面白いなぁと思ってね」ということだ。
みんな頷きながら笑っていたけれど私にはそれこそが今までの社会で積み重ねてしまった失態というか失敗じゃないんだろうかと思えてならなかった。たとえ生意気と言われようが、その時思ったことを言えない会社なんて、その時点でどうしようもないのではないかと思ってしまった。そういう先輩ほど本当のことを言うとキレる。そして陰湿なイジメを始める。そのイヤラシサ。そしてそれが今も続く社員を社畜化して行くことなんだろうと息苦しさでいっぱいになってしまった。それは社会に出て揉まれるということではなく「自分の言葉を飲み込んで長いものに巻かれてきた人たちが半永久的にループを描く人権皆無の社畜化計画」のひとつじゃないんだろうか。何だか悲しさでいっぱいになってしまう。

素敵とか素晴らしいという言葉はいつからひとを貶めたり笑いものするための言葉になったんだろう。

昔話に花が咲くという時間・・・・・。
私たち40歳代(バブルがハジけた直後就職だった世代)以降は、いつになるんだろうか。そんな時間を無事に迎えるまで私たちは生きることができるのだろうか。
メメント・モリ。


反面教師の皆様、誠に感謝でございます。とても勉強になりました。












エダーノがどんなに素晴らしいことを言ったとしてもそれは、裸の王様その他大勢すぎる議員とやらが酷すぎるからにすぎない。
私はエダーノがフクイチ爆発後に多汗をダラダラ流しながら言ったことを、決して忘れない。
所詮、海千山千口先弁護士だ。
エダーノの顔を見るとフクイチ爆発の映像が同時に浮かぶ。
あの大きい建屋が爆発したあの映像だ。

私の中で、このふたつはもうセットになっている。
この記憶を消したいと一度も思ったことはない。

私は3.11が起こる数年前にあの巨大な建屋の前の道路を通り「これが、原発か。」と鮮明に覚えている。
そして転勤で四国にいた時お遍路をしながら、愛媛県の佐田岬の崖っぷちに建っている「伊方原発」も見ている。しかも本当にバカな私は見学しに入り、若い女の子に説明を受けながら「これが放射線ですよ」と、真っ黒の箱の中でヒューンヒューンと短い線が飛んでいるのを見ている。
あの女の子はどう見ても高校卒業したてだった。元気だろうか。病気になってないだろうか。

なんであんな人たちがまだ議員でいられるのか。

森友・加計・レイピスト山口の隠蔽も何もかも、
今か今かと順番待ちしているスピン報道で忘れさせすっかりしっかりナカッタコトにしようとている。
あの人たちの掲げる公約など自分たちの利益になることだけで、私たち一般人にはスズメちゃんの涙が出たか出ないのかも見えないし実感できない。
あの人たちにとってはお金は毟り盗るものでしかなく、もっと大事なことがあることもすっかり忘れているというか興味もないのだろう。










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by iroha8788 | 2017-11-21 08:39 | おでかけ | Comments(0)

紅葉を見に。

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カミソリの木と牧草地


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収穫されたばかりのビートの山。


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千望峠から十勝の山々。



旭川での所用を済ませ、いつもの美瑛から上富良野に抜けるルートをドライブをした。この日は秋深くなる特有のコロコロ変わりすぎるほど変わるお天気で、日中の気温が10度を行ったり来たりするなか指がかじかんでしまいそうになりならがなんとかカメラを構えた。まだまだ寒さの本番はこれからなのにまるで一番寒く感じるような錯覚を起こす雪が積もる前の今は、山々に積もった雪がどんどん平地に近づいてくる感覚を味わいながらも、体が冬仕様にしっかり切り替わっていないからか、どうしても刺さる感じがする初霙混じりの冷たい風だった。ますます気が引き締まる中ワクワクする気持ちの方が勝っているが、この日ただ一つ残念だったのは、野生動物たちに一度も遭遇できなかったことだ。夕方近い時間からだと必ずキタキツネに遭える場所を通り、さらに時々すれ違う車がいないのを見計らって「ギャオーン」と呼んでみたけれど、ちょっと虚しくなってしまうだけだった。あぁ。
ちなみに植物たちの成長が止まり始めたうちの葉むら草むらなんちゃってガーデンでは、キタキツネの落し物を毎朝確認できるようになってきた。雪が積もったら足跡を辿る楽しみはまだお預け状態で、ひたすらキタキツネたちが縄張りを誇示するかのような落し物を片付ける私の行動は、この野生動物たちのテリトリーに間借りさせてもらっているのを自覚するためでもある。冬が近づいている蝦夷の地は声が聞こえたので急いで窓を開けて空を見上げると、うちの上空をV字になって越冬のため南下していく冬の使者、白鳥が通過していくところだった。さて紅葉も何とか楽しめたこの後は、どんな冬になるんだろう。もうちょっとだけカラマツの紅葉も楽しみたいけれど。









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by iroha8788 | 2017-10-16 19:00 | おでかけ | Comments(2)