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カテゴリ:木を植える( 3 )

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イコロの森にもエゾリスがいる。5度目の正直である。やっとあえた。

毎年この季節になると「イコロの森」を訪れる。「お邪魔します」と言いながら。いつも寒くて上着を着ていないといけないくらいだったが、この日はめずらしく陽がさしてポカポカ陽気だった。森を歩くときは必ずバードコールを鳴らしながら歩いているが、このときばかりは、目の前にエゾリスを発見してしまったものだからその場でかたまり凝視してしまった。可愛すぎる。その行動には嬉しくてぴょんぴょんしてしまうのをこらえるのが大変だったが、こらえながらもエゾリスとのパラレルトーキングをはじめてしまった。

「おはよう」
「だれ、お前。知らない」
「新参者です。よろしくね」
「……」
「耳にながい冬毛がまだあるのね。可愛いのね」
「うるさい」
「静かにします。はい」

地面を掘って何かを取りだし、ハムハムムシャムシャ食べはじめる。この掘っている姿もはじめて見た。ぴょんぴょんしたいがこらえる。

「なにを食べてるの?」
「教えない」
「それ、おいしい?」
「教えない」
「どうして、ちょっと走っては、一瞬立ちどまってかたまるの?」
「お前に言われたくない。うるさい。オレはお腹いっぱいになったから木の上で休む」

そう言うとスルスルっと鋭い爪を引っ掛けて木の幹を駆けのぼり1度かたまる。


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そして、またスルスルっと移動をし、そんな細い枝のところで大丈夫なのかと思うところに器用に寝そべる。


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すかさずエゾリスを下から見つめる。動かない。ピクリとも動かない。そのまま眼をとじて休んでしまった。私もそのままそこに立ちんぼしてしまった。
調教師さま(主人)に声をかけられるまで時間がとまっていた。30分以上も見つめつづけてしまった。

はぁ。うちにも近くの森から来てくれないだろうか。
おととしの秋、リスの真似をして皮付きの胡桃をラボ花壇に埋め、5こ埋めたうちの4こが去年の春に発芽した。1年間ラボ花壇で様子を見て、この春、空き地に植えつけた。胡桃の木に実がみのるまで、あと何年かかるだろう。しかも遅霜に当たるとその年は実がつかないらしい。それはお天気次第なのでどうしようもないが。何より、まだ30cmに届くか届かないかぐらいのおチビの木なのに、そんな先まで考えても仕方ないことだが。あぁ…待ちどおしい。リスの好物の胡桃とトウヒの木はそろった。クルミに松ぼっくり。近くの森からヒマワリの種をまいてうちまでさそってみようか。あ。今年はヒマワリを植えよう!そうしよう。でも、うちはキタキツネのテリトリーだから、むつかしいかな。そんなことを言ったら切りがないか。自然界はそれぞれの動物たちが棲み分けをして生きているのだから、これもありなのか。
空き地が森になるまで何年かかるだろう。私がいなくなったあとでもいい。エゾリスたちが住む森になりますように。

エゾリスを下から見上げながらずっとそんなことを考えていた。結局、2時間半ほど森のなかと芽吹きはじめたばかりの、それぞれの樹形に見とれながらガーデン内を歩きつづけ立ちどまりを繰りかえしていた。葉っぱがないときの樹形を見ることは、お手入れされている方のセンスが際立ち、私のお手本になっている。「イコロの森」は私にとって理想的な木々たちの姿、樹形を見ることができる最高の場所でもある。調教師さまよ。あい。すまぬ。

*「エビガライチゴ」の説明をしてくださったお手入れをしていた殿方、仕事を中断させてしまい、すみませぬ。実生苗の「エビガライチゴ」の樹形も棘が密集した美しい枝も忘れられない。うちにも迎えたい植物がまた増えてしまった。





by iroha8788 | 2019-05-02 08:28 | 木を植える

木を植える

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オーレアを植えて3日目の朝から、まだ細い枝にカワラヒワがとまるようになった。


シマトネリコ・オーレア

オーレアとはラテン語の金・黄金のこと
モクセイ科トネリコ属の落葉広葉樹
「アオダモ」の一種でもあるこの木が、厳しい冬を越え春を知らせる金色の芽吹きもここでの楽しみのひとつとする。

木を植えたいと思うようになるまでその性質はおろか樹皮、樹形、葉っぱの形、そしてどんな花を咲かせるのかさえよく知らなかったアオダモの木だった。ここに住んではじめてその仲間の「ヤチダモ」の木を少しだけ観察することができたがそれは、図鑑の中から少し出ただけでその樹皮と葉っぱの特徴をしっかり言えるところまでもできていない。最低でも1年以上見てからの話で、まだまだというより、その日までにどれだけこの木のことを理解できるかの想像がつかないからこそ楽しみと思っている。
「植物の時間に合わせる」という感覚が一番幸せと知って覚えてしまったからにはさらなる深みを探りたい。

木を植えると決めてから、まずこの地に自生している木かその仲間であるということを考えた。それは私がいなくなっても生きていってくれる可能性が大きいことを重視している。いろんな動植物がいるからこそ繋がっていき、針葉樹も必要だがとにかく落葉樹であることが重要でこれからもずっと考えながら増やしていこう思っているが、私が考えたことなど動植物たちには通用するはずがないと分かっているからこそ、その過程を見ていたい。動植物に人間など不要なのだがそれでも、落ち葉を踏みしめる音を堪能する時間を作らないとすぐに雪虫が飛んで2週間後にはおわってしまう秋、落ち葉からすべてのものを包み込み人工ではないことを祈る大切で大事な内地とはまったく違う気候そのものの雪に覆われる冬のその先にある春、人間には見えないそこでつくられつづける微生物たちいっぱいのふかふかの土の上を歩きたい。
人工物質をはじめとしたさまざまな開拓という破壊は、もう十分すぎるほど十分だろう。
どこまで壊せば、気がすむのか。
私の頭の中はまだ見ぬ10年先の秋と冬そして春へもう飛んでいる。

これからしっかり根付くようになるには3年以上かかると思っている。
ただでさえうちの環境は造園業の方までも太鼓判を押すほど過酷なのでもっとかかるかもしれないが、それでもいい。それを承知で迎えている。何より大事なのはこの地に根付いたときからで、そこからが本番と思っている。その根付きの証拠は「春の芽吹きの勢い」でわかるはずだ。動植物に関してはとにかく自分の目で見て確認したい。いろいろ調べても聞いてもこの目で見てからではないと納得できない。
何でもそうかもしれないが、専門用語も確かにそれぞれに必要だと思う。しかし専門用語を並べたところで、それを使っている人がただ覚えただけで理解できていないと気付いてしまうより、自分で調べたほうがいい。自分で調べて実感した経験が積み重ねられてないことは、とてもつまらないし、つまらない人間には興味もない。
毎朝、背高のっぽの木を見上げ挨拶をし幹をなでては「どうか根が動いて伸びる準備をはじめていますように」と言いながらまだ一方通行の会話をつづけている。

このオーレアを植えて3日目でカワラヒワが枝にとまって囀り、このオーレアを確認してくれたことが嬉しい。何よりたった3日で早速落し物をしていったこともだ。そして1ヶ月がたった今、ますます葉を広げるオーレアを誇らしく思う。






by iroha8788 | 2018-06-19 08:22 | 木を植える | Comments(0)

リスを呼ぶ

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ここに住みはじめたばかりのご近所探検のときに、森と森の間の道路をよこぎる「エゾリス」ではなく「エゾシマリス」に遭遇した。
そこは人間が住む前からきっと「リスの道」だった。

尻尾でバランスをとりながら走っていたと思ったら「はっ?」という顔で、こちらを警戒しながらも目の前で立ち止まる姿には「可愛すぎて参りました」としか言いようがない。そこから何とかうちの空き地にも来てほしくなり調べるとクルミが一番だということに辿りついた。
あのピタッと一瞬止まる動きを、目の前で見たい。

そう思いはじめてから3年目にようやく皮付きのクルミを手に入れることができた。
手に入れたクルミの実を眺めながらある映像が浮かんできた。それはクルミの木は家の裏庭にもあり祖母と収穫していたということだった。そして大きな柿の木2本と1本の栗の木もあったことも思い出した。柿の木は長いハシゴをかけないと収穫できない大きさだったが、栗の木とクルミの木も幼い私には大きかったが柿の木ほどではなく毛虫が太い幹を垂直に登っていくのをよく見ていた。
ある時、祖母がクルミの木の枝があまりにも混み合いすぎたといい、枝打ちをすることになった。そしてその切られた枝がもったいないと祖母はしばし眺めたあとちょうど30cmくらいの長さに鋸で切りすり鉢用のすりこぎ棒にすることにした。鋸で切って長さを合わせたあと丁寧に小刀を使い樹皮を削り出すと、そばにいた私にももう一本の小刀を出してくれて私も手伝った。最後に濃い灰色の布製のヤスリで表面をなめらかに整えた。そしてその削った樹皮はそのクルミの木の株元にまいた。
クルミの木の落とした枝からできたすりこぎ棒は数本となりご近所や祖母の兄妹などに分けられた。その祖母が作ったクルミの木から作られたすりこぎ棒は、祖母が使っていたすり鉢と一緒に今、私が使っている。


本当は空き地にすぐ蒔こうと思ったが、とりあえずラボ花壇に皮付きのまま蒔いた…というより埋めた。そして冬を越え5つの「オニグルミ」のうち4つが発芽した。それは「リスがする行動で森ができていく理由のひとつ」の真似をしたと思うと何だか嬉しくなる。
さてこれからの5年でどこまで背高のっぽになるか。
あんまり背高のっぽになりすぎると根を浅くはるタイプのクルミは、森の中にいるようにまわりに大きな木々がないここでは強風で倒れてしまうかもしれない。余計なこととは分かっているが私が種を蒔いた以上は「一回だけ」様子を見ながら芯を止めることを考えながら、無事に大きく育ってくれるようお願いする日々だ。さらに空き地のニオイヒバの株元におチビのミズナラを発見しているので、この秋口にはある程度の距離を保ちながら一緒に植え付けよう。クルミの木のは近くに生える植物を枯らす物質を発生させることを知るとなんだかとても誇らしく思える。しかしすべてを貪るようなことも決してしない。動植物たちの行動には何ひとつ無駄がないという。
(あの*ドングリは、誰が持ってきておとしたんだろう。)


「リスを呼ぶ」作戦が、クルミが発芽したこととミズナラの芽を発見したことではじまった。



*ドングリはヤマブドウよりもヒグマさまの大好物だ。
住みはじめた2ヶ月目にヒグマさまと遇ったところは川沿いのテリトリーだったが、そこからうちまでは1kmくらいはなれている。山の尾根伝いに移動し川沿いをテリトリーとしているヒグマさまだが、いつかうちもテリトリーに含まれるようになるだろうか。以前、そうだったことは十二分に考えられるし、1kmという距離はテリトリーにすでに含まれている。何よりうちから見える山にはヒグマさまの塒があるのだから。
あの眼を、もう一度見たい。





震災からいろんなものごと思ひを鬼になって捨て切って飛んでなんとか着地した。
どんなに偉い人がこようが、フクシマの現実は、福島が「フクシマ」というカタカナ表記に変わったとき、それは爆発した福島第一原子力発電所の人災事故である「フクイチ」がすべて収束しない限り変わらない。あと何億年後だろうか。何十億年後か。
この「収束」とか「終息」とかいう言葉が当時からここぞとばかりに言われて使われてきたがそれは「風評被害」と同じくすべてお金儲けに使われるのだと実感しつくした。
随分、儲かったんだろうし、これからもどこまでもずる賢いヒトデナシたちが儲けていくんだろう。



おん。




by iroha8788 | 2018-06-11 06:11 | 木を植える | Comments(0)

動植物たちとの日々


by 葉花