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この冬2度目のマイナス10度をこえた朝に、また見ることができた姿に、幸せを感じる。


蝦夷地に間借りし、はじめての冬に見てからというもの、この姿が大好きになってしまった。春、雪どけがすすみ、ロゼットのかたちで越冬した姿が出てくるとワクワクしてしてしまう。葉っぱもいとおしい*An’s Flowerは、1年を通してうちの庭にはかかせない。


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人間には「食べられない人参」でも、アゲハの幼虫には好物でありだいじな食べ物だ。それだけで十分だろう。そもそも地球上に生えている植物の8割は食べることはできないし、まだ発見されていない植物だってある。それでいいと、なぜ思うことができないんだろう。もう余計なことはしなくてもいい。すでに奪い、壊し、殺してきたのだから。いつまで「奪う・壊す・殺す」をつづけるのか。

私は、見たいものを見る。しかしただ見たというだけで、何も感じない、すぐに忘れるその場しのぎの、なんの積みかさねもできないまま生きている愚かな人間にはなりたくない。


*An’s Flower は、うちだけの名前である。





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by iroha8788 | 2018-12-13 19:19 | おはようの時間

茶の木の蕾がおちる

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茶の木のだいじな葉っぱをきれいにしようと濡れ布巾でふいていたら、だいじなひと粒の蕾がおちてしまった。


盆栽仕立てになっていた茶の木を迎えて3年目のこの秋口に、はじめて小さな蕾がひとつあがって、とても嬉しかった。しかし、越冬させるため部屋の中へ鉢を移動したとたんに蕾の生長が一気に遅くなってしまった。それからというもの蕾の色も黄色っぽくなり、あきらめていた。ダメだったか。やっぱり。

何がいけなかったのか。水やりも、蕾には水がかからないようにしながらときどき葉水をし、乾燥させすぎないようにしていた。水の加減か、それとも部屋の中の光が少なすぎたのか。やはり陽の光か…マイナス5度くらいまでは外においたほうがよかったか。内地のときはベランダだったこともあり霜にあたることもなく外で越冬できた。茶の木の北限は蝦夷地の積丹半島であり、少しの緯度の差もあるが、何よりここでは猛吹雪がきたときのことを考えると、部屋の中で越冬させるしかない。

落下してしまった蕾は、もう戻ることもないが、株自体が枯れたわけではない。株元から新しい芽もでてきている…新しい芽がでてきたということは「世代交代するための花を咲かせるより、新芽の生長を重視した」ということか。それとも先走りしすぎて蕾をつけてみたものの「やっぱり、やーめた」となったのか。根鉢がまわりすぎているわけではないはずだ。葉の落葉はほとんどない。

いずれにしても年が明けて3月のはじめには、ひとまわり大きな鉢に植え替えよう。そして中旬には肥料をあげよう。この地で茶の木栽培は部屋の中で越冬させながらもできないことはない。ただ花を咲かせるには、まだまだ試行錯誤がつづきそうだ。

小さな鉢で迎えた植物たちが年をおうごとに鉢増しされて大きな株になっていく。実生ローズマリーにつづけと盆栽仕立てだった茶の木もすくすくそだって大きくなってきている。
そとが銀世界になっている冬のあいだだけ、家のなかの窓際はジャングル化する…。少しずつ内地のときとおなじ光景になりはじめていることは、どこにいても変わらない自分の軸を、みずからの目で確認することでもある。

茶の木の蕾は、おちることで次へ進んだ。
おちても、ただでは浮上しない。

来年の今頃には、花を見る。いちりんだけでも。





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by iroha8788 | 2018-12-12 11:55 | 茶の木


ようやくこの冬の待ちに待った最初の時間がやってきた。
人っ子だけはいない雪降るなかを、この歌をうたいながら、歩いて歩いて歩きまくった。

時折りシジュウカラがニオイヒバの木からトウヒの木へ行ったり来たり。カラスのカースケは、電信柱のてっぺんで「あぁ、はじまっちゃったよ」とでも言っているかのような鳴き声をひとつ、ふたつ。猫のミースケは他人になりすまし、くっついてきたくせに私の前をスルーしていく。ニオイヒバの中に巣があるスズメたちは「私たちには、一切関係ございません」とばかりにピーチクパーチクにぎやかスズメ会議をつづける。

粉雪が降りしきるなかを歩きまわるのは、最高である。
木々たちをはじめ、枯れたまま残しておいた植物たちにも少しずつそれぞれに似合った帽子のように雪がつもっていく。時々、歌うのをやめて、スズメたちには申し訳ないが一回だけパンッと手を叩く。耳をすますとサラサラサラと雪のふる音が聴こえてくる。慣れているスズメたちは私が手を叩いても、すぐに囀りはじめる。一瞬の静かな時間に聴く音も楽しい。

この週末は、最初の大寒波がくる。いきなり雪に閉じ込められるのか。カラスのカースケも明日は森から出てこないだろう。いずれにしても明日の最低気温の予想はマイナス7度。しっかり実感したい気温だ。

はぁ…サラサラ粉雪は、たまらない。気温マイナス3度は、歩いているとすぐにあつくなる気温だ。むしろ顔におちてくる雪が心地いい。午前と午後ととっとと雪かきを終わらせ歩きまわり歌いまくった。はしゃぎ過ぎて明日が少々こわいが、なんのそのだ。
しかし、雪かきしてできた雪山の高さは、まだ30cmたらずでダイヴはできない。
ダイヴして…はやく「パフゥ〜」を味わいたい。




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by iroha8788 | 2018-12-07 18:00 | いとしいひとのこえ

Freesia Leichtlinii

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原種フリージアの「freesia Leichtlinii」がゆっくりと芽吹きはじめた。
この瞬間を見つけるとワクワクがとまらなくなり、まだ柔らかくて生まれたての葉っぱを折らないように、そっと、ちょんちょんしながら挨拶をしまくる日がつづく。

先月、満月の日に植えつけてから13日目のきのう、ひとつの芽がでできた。今朝は一気によっつも小さな芽がではじめている。種を蒔いたときとおなじように、この球根も植えつけたときにたっぷりの水やりをすることで発芽スイッチが入ったと想像し、毎朝しつこいほどに声かけをしていた。
ちらっと芽が出ているのを見つけたときには、ひそかにバレないようにぴょんぴょんしてしまった。別に見られたとしても「あぁ、またあの奥さんたら、花を見て喜んでるわあ」くらいにしか思わないのに。ご近所さんたちも、こんな私に慣れていただいて、ありがたいことだ。と書いたがしかし、今は、農閑期で、うちのまわりを通るのは郵便屋さんくらいしかいなかった。しまった。もっとぴょんぴょんしておけばよかった。

これから葉っぱがどんどん育ってくると、もっとはっきりとした葉脈になっていく。フリージアの葉っぱも陽の光を受けると、とても美しく、その姿を見るのもこの子と一緒にいる醍醐味のひとつだ。

私が葉っぱを好きになったのは、幼い頃に祖母と通った神社の裏山でクサソテツの「コゴミちゃん」の葉っぱに木漏れ日がふりそそいでいる姿を見たときからだ。そのときから葉っぱの葉脈の美しさのトリコになってしまった。

しんしんと雪がふるなかで4年ぶりの再会となる早春の花の芽吹きがはじまった。


胆振東部地震から3ヶ月が経った。
復興が進まないのは、国の許可も予算もおりないからだそうだ。
いつもそう。結局、見えない糸を操っているヒトには好都合で喜ばしいことなのだ。

もっともっとバレてしまえばいいのに。いろんなことがバレてしまえばいいのに。




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by iroha8788 | 2018-12-06 14:55 | 原種フリージア

Rosemary Officinalis

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今年もRosemary Officinalisの花が咲きだした。
一緒にいるようになって5年目もまた開花を見ることができるのは、素直にうれしく、いとおしい。

2日連続で積もった雪が、翌日から2日連続の気温上昇と激しい雨でほとんどが消えてしまった今朝の最低気温は6度もあった。朝の気温が6度って…「春ですか!」と空に向かって言ってしまった。しかし昼前からどんどん気温がさがり、芯からくる寒さに気がつけば氷点下となり雪が舞いはじめる。

「どうか…雪が、ちゃんと降ってちゃんと積もって広い大地を遅い春の雪解けまで覆いつくしてくれますように」

ローズマリーの香りを確認し一緒に外をながめていると、ときおり吹雪きながらも、少しずつ積もっていく雪をみて安堵してしまう。雪の毛布は、この地に住んでからの方がより大事だと思うようになった。自分なりの冬を楽しみながら越えた春先、雪解けしたところから見えてくる地面、植物、そして地面が乾いて草たちも乾きはじめた晴れた日の10時過ぎに空き地へ行くと、一歩踏み出すごとにいっせいに動き出すたくさんのエゾトタデグモを見ても、雪の毛布が守ってくれたのだと思う。

はじまったばかりの冬。これからの楽しみと、そしてその先を想像する。想像した時間も忘れないように、ローズマリーの可愛らしい花や葉っぱのスパイシーな香りとともに記憶していく。



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by iroha8788 | 2018-12-05 07:56 | ローズマリー

Clotilde Soupert

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蝦夷地でいまの時期にバラ苗を迎えることは無謀で邪道である。しかし、どうしても迎えたくて考えていたオールドローズがあった。

チャイナローズの「粉粧楼」という名前で覚え育てていた。なんの疑いもしないバカ丸出しだった。
2007年には「Clotilde Soupert」という1890年にヨーロッパで生まれたポリアンサローズとして正式発表がなされていたが、現在もほとんどの業者さんは「粉粧楼」という名前で流通させている。同じ植物にいくつもの名前や流通名があることは珍しいことではなくよくあることだが、山梨の尊敬する職人さんは、やはり知っていた。

私にとってかなりの衝撃となったが、調べなおしたのが迎える4ヶ月前だったということは、10年以上もの間まちがったままでいた、お口あんぐり子である。それからというものClotilde Soupertのことが気になりどうしてももう一度迎えたくずっと探していた。この目で見て確認せずにバラ苗を迎えたことは今まで一度もない。ずっと迷っていたが今回だけはネット検索をして遠路遥々京都から迎えた。最初で最後だ。

Clotilde Soupertは「うどん粉病」にとにかく弱い。しかし内地とは明らかにちがう蝦夷地の湿度の低さが功を奏してくれることもあると勝手に期待している。それでも万が一に備えて焼酎消毒は作っておこう。うどん粉病に負けない強い株なるまでは少しだけ過保護にするしかない。そして鉢植えでコンパクトに栽培しようと思っている。路地におろしても開花間近で雨にあたるとせっかくの花も咲けないまま終わってしまう。そのくらい繊細で薄い花びらなのだ。香りも甘く優しい白粉のようで、とても気に入っている。…あ。だから「粉粧楼」の名前のままで流通させているのか。それでも、チャイナローズというのはどうなのか。正式発表されていたのなら、即座に変更してくれても良いのではないか。何か理由があるのだろうか…。植物も目に見えないウエにしっかり網羅されていることに変わりはない。これは蝦夷地に住んではじめて迎えた早春に、ご近所さんに誘われ一緒に出かけた「蘭展」に行ったときにあらためて思い知らされた。展示されている蘭のなかに「ロスチャナディズム」という名前の蘭を見たときだった。言葉を失い、その場で固まってしまった。いずれにしても人間がつけた名前など、植物たちには関係ないことだが、「粉粧楼」で通用するのは、日本だけではないのか。

すでに溺愛の頭の中では年間の栽培計画をはじめている。今までここで迎えたバラたちは話しかけること以外、放任主義で生きてくれる手がかからない子たちばかりだ(放任すぎてエゾシカたちに食べられ放題で動きだしたばかりの新芽が消えた朝には少々なげきたくなるが、その元凶は人間にあるのだからエゾシカを責めるわけにはいかない)。

迎えたばかりでもClotilde Soupertの株自体はすでに熟しているが、裸苗をロングポットに植えつけたばかりの状態なのでまだ根鉢ができあがっていない。早春までは、部屋の一番涼しいところで越冬させる。年が明けるまで、葉芽をあまり動かしたくはない。あとは私の采配だ。気合を入れなおしてのこころみは、ワクワクがとまらない。毎日「よくぞ、いらっしゃいました。無事にうちの子になってね」と声をかけている。

今、部屋の中にいる「カカヤンバラ」が無事に越冬し毎年短い夏を謳歌してくれることが、蝦夷地でこの時期にバラ苗を迎えるという無謀で邪道と思っている私の背中を押してくれた。また大事な子を迎えることができた。




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by iroha8788 | 2018-12-04 08:00 | 原種&原種系のバラ&オールドローズ

シクラメンの蕾

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お盆明けに植え替えをしたシクラメンに蕾があがった。まずは葉っぱが育ち光合成をたっぷりしてチカラを溜め込んでからゆっくりと蕾を育ててくる。ただし今年は、2号さんだけだ。1号さんは、休眠からいまだに目を覚ましてくれない。

処分品になっていたシクラメンを2株迎えて4年になる。
球根も、50円玉の大きさから500円玉の大きさをこえた。毎年GW過ぎまで咲きつづけてくれる。そこから肥料をきり、葉ばかりさんの時期を過ごしていただき、お盆が過ぎたら植え替えと同時にリセットをするべく、のびた根っこを半分の長さに切り葉っぱもすべてとる。1ヶ月もすると球根から小さな葉芽をのばしはじめる。そんなサイクルをずっとしてきたのだが、今回はなぜか、1号さんだけ何の動きもない。球根が腐っているわけではなく、さわるとムチっとしている。植え替えのときの根切りがたりなかったのか…。いずれにしても、1号さんに関しては、年明けまで様子を見てから植え替えしなおそう。球根が腐っているわけではない。あわてることもない。休みたいのであれば、休ませてあげよう。シクラメンは、短日植物でも長日植物でもない、中性植物だ。

今までみたなかで、一番印象に残っているのは知り合いのお母さまが育てていた25年もののシクラメンだった。球根というより直径15cmくらいの「大きなおまんじゅう」だった。あえて書かないが牧野博士が名付けたとおりだと思った。25年前から生きているシクラメンに香りはないが、ピンク色でとてもシンプルでとても素敵だった。毎年植え替えをして大事にされていた。しかしお母さまが亡くなるとそのシクラメンも急に葉っぱがどんどん枯れはじめ球根も腐る前にカラカラになって枯れてしまった。連れていったのか。それともシクラメンが、お母さまについていったのか。25年も一緒にいたのだから…。

この2号さんシクラメンはピンクの小さな花を咲かせる。まだモコモコ葉っぱから顔を出したばかりなので白っぽい蕾だが、これから窓辺で日光浴をしながら蕾が大きくなると同時にどんどん花びらが色づいてくる。花びらがしだいに色づいてくるのをみるのも嬉しい。外気温がマイナス5度をこえる日が多くなると日が沈む16時ごろには部屋の真ん中にあるテーブルに移動させ、翌朝、日が昇る7時ごろになると窓辺へ移動する。シクラメンは暑がりだが、その程度にもよる。これも1代目のシクラメンと一緒にいた内地のときに覚えたことだ。この子たちが部屋のなかで一番元気でいられる場所を見つけるのも楽しみのひとつだ。今は昼と夜の定位置が決まっている。

年末には咲きだしそうだ。小さなガーデンシクラメンのおかげで窓辺がまた少し賑やかになる。

うちのおチビのシクラメンも、ずっと一緒にいられますように。




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by iroha8788 | 2018-12-02 07:55 | おはようの時間